全体性と無限（上）
　
全体性と無限（下）

「ほんとうの生活が欠けている」。それなのに私たちは世界内に存在している。

　この一節でエマニュエル・レヴィナスの主著『全体性と無限』――副題・外部性への試論――の第一部が始まる。
　エマニュエル・レヴィナスの名を知ったのは駿台予備校時代の英語の時間である。だが、本当の意味でレヴィナスの思想に触れたのは、『パンドラの夢』を書いている頃だった。
現代思想フォーカス88

　この中で解説されているレヴィナスのひとつの主概念、<イリヤ>と出会ったのが、最初だった。
　<イリヤ>とは「「世界が<ある>（イリヤ）こと、存在が存在することの、禍々しい忌まわしさ」である。戦争が終わり、世界は変わった。多くの血が流され、仲間は永遠に失われた。にもかかわらず、世界は<ある>。その酷薄tq「<ある>には容赦がない。イリヤとは刻薄さである」。
　イリヤを知った時、思い浮かんだのは、世界が崩壊していく中に取り残されていく主人公とスウの二人であった。崩壊してなお世界がまだ<ある>。残酷な<ある>。容赦のない<ある>。それが、ループが壊れ破滅へと向かっていくスウと二人きりの世界のイメージを形容する文句として、ドンピシャの言葉に思われたのだ。
　以来、レヴィナスに惹かれつづけ、ついに手に取ったのが『全体性と無限』だった。訳者は、熊野純彦――すなわち、『現代思想フォーカス88』のイリヤの項目を書いた人である。また、非常に優れたレヴィナス入門書レヴィナス入門も執筆している。

　<同>と<他>。<私>と<他者>。<他者>という無限。<顔>という無限。
　国家博士論文として50代のレヴィナスによって書かれた本書は、決して簡単な書物ではない。<観想(テオーリア)><融即><分離><形相><質料>といった専門用語を理解しないと読み解くのは難しいが、非常にこなれた簡潔な日本語訳のおかげで、背伸びをしたい人にも最後まで読み進められるようになっている。
　岩波書店は在庫切れを起こしやすいので、今あるうちに是非読んでおきたい。『全体性と無限』がなくなってもなお<ある>本棚を眺めてイリヤを敢えて感じ取る必要はないのだから。