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乳之書
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思考の独我論
 鏡は、16才の春に5度目の正直で日記を始めて以来、意匠ノートにして300冊以上、20年近くにわたって自省録をつづけてきた。自分は他人と比べてこうなんじゃないか、自分にはこういう悪い癖や欠点がある、こんなふうに腹が立った、こんなふうに悲しかった、こんなふうに情けなかった、いつも自分はこうなのだ……、などと自分を見つめて見つめて、自分と向き合って向き合って、モノローグ三昧、自省三昧をさんざんやらかしてきた。
 でも、最近は日記を書くことがほとんどなくなった。反省しなくなったわけではない。自省のプログラムは強く自分に根ざしているから、たとえ年下に言われようと実績のない人に言われようと、指摘されたことに対してはいったんそうなのだろうかと考える癖がついている。
 ただ、10年前ならそれを日記に書きつけて、自分一人で妥当性を考えて下手糞な文章をうんうんひねくりまわして終わりだったのが、他人にぶつけて妥当性を確かめるようになったというだけだ。
 自分が考えたことを自分で検証しているだけでは、妥当性はない。狭い独我論に陥るのが普通である。だから、独我論にならないように他人にぶつけて、複数の他人の視点から検証して自分を見るようにしている。
 ただし、その際に多数決だけで判定はしない。5人に聞いて4人がそうだといえば妥当性は高まるが、5人に聞いて3人がそうだと答えた場合は、直感の方が正しい場合が多い。5人に聞いても1人ぐらいは必ずドキッとする指摘をしてくれるもので、そういう場合の方が真実が多い。そしてその場合、彼が少数派だったとしても当たっていることの方が多いのである。
 多くの人は、独我論に囚われている。思考をしても、独我論の世界から出ることができない。否、出ることを拒んでひたすら自分の思考だけの出口のない世界、答えのない世界で戯れている。
 真実は時として残酷である。その残酷さに向き合うのが怖くて、わざと出口に向かわないようにしている。
 だが、そうやって出口に背を向け、答えのない甘い独我論の世界にいつづけるかぎり、その人に発展はないだろうし、その人が影響力を持つことはないだろう。
 自分を変えた者、恐れに対して立ち向かった者の言葉だけが、世界では重みを持つのだから。
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COMMENT

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ぶつける相手
初心者 | URL | 2005-07-03-Sun 17:23 [EDIT]
>思考をしても、独我論の世界から出ることができない。

その通りだと思います。

>他人にぶつけて妥当性を確かめるようになったというだけだ。

そして思いました。ぶつける相手が居て、良いなと。
勿論、私も人に向かって色々と言いますが、
それは会話ではない。
私が一歩的に話してるだけ。相互理解なんて無い。

何気ない日常会話は、しますけど。

結局、人間は独りです。
皆、別人で、違う方向を見てて、決して理解し合う事は無い。
少なくとも、私には人を理解する力が無いので、理解し合う事は無いです。
相手の気持ちを推測は、しますが。

でも自分と考えの違う人に意見を聞くのは面白いです。
皆、感じ方が違うなと勉強になります。
理解の前提
| URL | 2005-07-04-Mon 07:04 [EDIT]
 全部を理解するのは、はなから無理です。そもそも、自分だって自分を全部理解していないんだから。
 けれども、部分的にであれ共有できたり理解できたりするだけでも、幸せなもんだし、楽しいもんです。

 あなたは一度『7つの習慣』をお読みになった方がよろしい。
 その上で「相互理解」という言葉を考えた方がいいのではないかと思います。

 理解してもらうためには、相手を理解することが前提です。
虫がいい
初心者 | URL | 2005-07-04-Mon 16:39 [EDIT]
>理解してもらうためには、相手を理解することが前提です。

だから、
相手を理解できないので、理解されたいと思わないようにしてます。

人に対して何もしてないのに、相手に何かをして欲しいと思うのは、虫がいいから。

ネットで『7つの習慣』を検索しました。
近々、図書館が出来るので、借りてみようと思います。
ぶつけられたら痛いやん
アーバイン | URL | 2005-07-07-Thu 16:38 [EDIT]
ときに人というものは、背中を押してもらいたくて相談する場合ってのがあって、その場合にその真逆の事を指摘するなりすると、話がこじれ始める。独我論の典型的なパターン。結構多いような気がするパターン。

どんなに真剣な内容であれ、いい意味で笑顔で話せるのが一番。それには、相手を先ず決め付けではなく理解しようとする姿勢が先生がおっしゃる通り大事。でも、これには修練が必要なのも事実。

ああ、また話したいもんだいのう。私が話しに着いて行けるかは別にして。

でだ、この9月半ばをもって日本に帰任する事になりやした。帰任先は勿論東京都。7月下旬から8月中旬の何処かでアパート探しのために一時帰国する予定でもあったりしゅる。

という事で、よろしゅーに☆
私は
| URL | 2005-07-08-Fri 01:06 [EDIT]
私は単純に羨ましいなと思いました。
あまり羨ましいというのはよろしくないのでしょうが、そう思います。
私自身には言葉をぶつけられる相手がいません、またはいないことにしているのでしょうね。
時々、言葉にしてぶつけたくなるときがありますが、私はそれに関して臆病です。反応が恐いからでしょうか、事実がきびしいからでしょうか。

与えられることばかり考えず、自身から近づかないと何も進展しないのでしょうね。
なぜか、ふと思ったのでコメントさせて頂きました。
失礼しました。
人付き合いのスキルは
鏡裕之 | URL | 2005-07-09-Sat 10:34 [EDIT]
●初心者さん

 あなたは矛盾しておる。
 「理解できないから理解されたいと思わないようにしている」と書いてはいるが、なぜ思わない
ようにしているのか。

 本当は理解したいと思っているから、敢えて「思わないようにしている」のではないのか。

 あなたは、誰よりも理解を求めている。
 ただ、求めようとしたのに理解を得られなかった時のショックが怖いから、「理解されたいと思
わないようにしている」だけなのである。

 しかし、それはおのれの本質の隠蔽であり、本質からの逃避である。
 自分から逃げている。自分に対して背を向けている。

 本当の自分から逃げても、前進はないのだよ。
 自分の奥底にある感情に対して、素直になりなさい。
 
 たとえば、おれはオッパイ星人である。
 ひたすら爆乳を求めている。大変態なくらい好きである。爆乳ちゃんでないとエッチだってでき
ないくらい変態である。それくらい爆乳が好きである。しかし、爆乳ちゃんがおれを好きになると
は限らない。

 それでも、「好き」だし、「欲望」しとるから求めつづける。
 それはある意味醜い姿である。

 乳好きな自分から逃れよう、乳好きな自分を見ないようにしよう、そんなのただの欲望まみれだ、低レベルだ、馬鹿だ、と思って乳好きな自分から逃げようとしつづける限り、おれはただ苦しむだけである。前進もなく、停滞しかない。

 人は、自分の本当の姿、本当の感情、本当の欲望から逃れることはできないのだ。
 誰もが重力から逃れられないように。
 酸素を吸わずに生きられる人がいないように。

 おれは乳キチガイである。
 だが、それがおれの姿なのだ。おれの本質なのだ。おれの奥底に横たわる、まさにおれという欲
望なのだ。

 乳への欲望と向き合わずして、おれはおれとして前進できないのである。

 あなたは怖がりである。
 怖がって背を向けすぎである。

 しかし、世の中、怖いものはあまりない。
 人に理解を期待して裏切られることと、ゴキブリだらけの段ボール箱を覗くことと、どっちが怖いか?

 あなたは清廉潔白に生きようとしすぎである。聖人になろうとしすぎである。
 自分のレベルを無視して背伸びしすぎである。

 いいかね。
 我が友人が書いているように、相互理解には修練が必要である。相互理解は高度なレベルである。
 
 あなたは、まだコミュニケーションにおいて、初心者レベルである。
 自分で他人を仮想して、ヒイヒイ言っているレベルである。つまり、他人を知らないレベルである。

 そのレベルではまだ相互理解は遠い。
 理解できないのは当たり前である。なぜなら、あなたはまだ「他人」に出会っていないからだ。
自分で思い込んだ「他人の姿「、自分が思い込んだ「他人の内面」と勝負しているだけだからであ
る。

 相互理解は、ウルトラCのようなものだ。
 そのためには基礎訓練が必要である。バックテンすらできないのに、3回転宙返りなど無理なのだ。

 あなたは、コミュニケーションにおいてまだバックテンもできていないレベルである。
 宙返りをする実力はないから宙返りを目指さないという問題ではないのである。

 あなたはおれのことを偉い先生と思っているかもしれないが、中学時代におれがろくでなしだっ
たことは、当時の人間のほうがよく知っている。

 学級日誌を自分の日記のように取り扱い、他人を批判したこともある。
 自分と友人以外の人間は、すべてアホだと信じて疑わなかった。クラスメイトを心底蔑視してい
た。
 20代前半までは、人の話など聞かず、一方的に話す人であった。他人のことなど、考える力も
余裕もなかった。
 こうなりたい、ああなりたいと願う心が強すぎて、おのれから逃げる弱い存在であった。

 だが、その段階があったからこそ、人の話を聞けるようになったのである。
 自分の弱さを本当の意味で知った時から、道が開けたのである。

 あなたはコミュニケーションにおいて、とてつもなく初心者である。
 よちよち歩きのレベルである。

 それを充分に認識しなさい。

 怖がるな。
 背伸びをするな。
 傷つくことを楽しめ。

>人に対して何もしてないのに、相手に何かをして欲しいと思うのは、虫がいいから。

 なぜの「虫のいい人」と言われることから逃げようとするのだ?
 なぜそのように純潔になろうとするのか? 聖人君子レベルに近づこうとするのか?

 なる必要も近づく必要もない。
 そう自分を制限すればするほど、あなたは自分を縛って自分を盲目にするのだよ。

 今のあなたは、聖人君子にはなれない。なる必要もない。
 聖人君子を目指すのは、赤ん坊が100メートルを10秒で走ろうとするようなものだ。

 あなたは喩えるに、松葉杖が必要な人である。
 自分の両足ではまだ歩けないレベルの人である。なのに、なぜ松葉杖を放そうとするのか?

 できないことをするな。
 目指してもいいが、今すぐやろうとするな。高望みしすぎるな。

 迷惑など、かけてなんぼである。
 いやなやつになれ。いやな自分になれ。

 強い人とは、自分のいやな部分と向き合ってきた人、いやな部分から顔を背けるのではなく、い
やな部分をいい意味で認め、トータルで自分を愛している人のことである。

 いいかね。
 人は相談されることが迷惑なのではない。

 相談と言っているのにその実際はただ泣き言を繰り返すだけでいっこうに立ち直ろうとする姿を
見せないことが、迷惑なのである。相談するだけ相談して、全然感謝しないのが迷惑なのである。

 相談すること、人に意見をぶつけること自体が迷惑なのではない。
 相談されても、あるいは人に意見をもちかけられても、相手がそれによっていい状態になり、なおかつ相手が自分に感謝してくれれば、人はよろこぶものだ。

●アーバイン君

 お~、元気か~?

>結構多いような気がするパターン。

 実に多い(笑)。
 人は、知らぬうちにYESマンを求めるもの。しかし、それが自分の成長にとんでもないブレー
キをかけてしまうのよ。

>ああ、また話したいもんだいのう。私が話しに着いて行けるかは別にして。

 いや、大丈夫。
 乳的暴走さえなければ(笑)。

>7月下旬から8月中旬の何処かでアパート探しのために一時帰国する予定でもあったりしゅる。

 おう!
 それは実にすばらしい!

 会おうぞ、会おうぞ!
 平日に会えたら親子丼を喰らおう。

 おれは今月下旬、シナリオ教室の予定~。

●陣さん

 ぶつける相手がいないのは、だいたい2つの理由です。

1.人の言うことを聞かないので、みんなが離れた
2.人に弱みを見せないので、深い内面を共有する相手がいない

 恐らく、あなたの場合「2」でしょう。
 弱みを見せずして、人と深くつながることは不可能であります。

 中学3年の時、鏡に最初の親友ができました。
 きっかけはなんだったと思います?

 好きな女の子を告白しあったことです。
 そんなことで? と思うでしょう。そんなことです。しかし、あの年頃の男にとって、好きな子
をばらすというのは、とっても危険なのです。

 そいつがいやなやつだったら、みんなにばらされるかもしれない。
 好きな子の名前というのは、弱みなのです──内面的なタイプの人間にとっては。

 でも、それによって親友ができた。

 人付きあいというのはね、年齢の加算とともにうまくなるわけじゃない。
 歳をとったからといって、人付き合いのスキルがあがるわけじゃない。どう人に対して弱みを見せたり、人と付き合ってトラブルを経験したりしていくか。それでスキルアップするんです。

 何もしなければ、中学生の頃のスキルのままです。
 恋愛も、人付き合いも、そういうものなんです。
鏡先生へ
| URL | 2005-07-09-Sat 20:04 [EDIT]
自身のコメントに対して、応えて頂いたことに大変感謝します。
鏡先生の言葉は理解や納得した気分にはなれるのでしょうが、実際そう簡単なことではないのでしょう。
だから自分なりによく考えて、せっかくの機会を生かせるよう心がけたいと思っています。
本当にありがとうございました。
簡単です
| URL | 2005-07-10-Sun 08:52 [EDIT]
 技術的には難しいことではありません。簡単です。
 ただ、自分で怖がっているために、心理的に困難にしているだけのことです。

 昔、鏡は女の子と手を握れませんでした。
「手を握ろっか」
 一言そう言えばよかったのですが、それが言えなかった。なかなか言えないと思い込んでいたのです。そういうのって、難しいよな~、と思い込んでしまっていたのです。

 でも、「手を握ろっか」という台詞を言うこと自体は、心理的なものをのぞけば難しいことではない。
 とっても怒りやすくてプライドの高い人に対して、その人が怒らないように気をつかいながらいさめるという方が技術的には難易度が高いのです。

 それに比べれば、「手を握ろっか」と言うのはとっても簡単です。
 ただ、「言う」だけでいいんですから。
「トイレに行かなくていい?」「そろそろご飯にする?」というのと同じ。ただ言うだけでいい。
 しかし、いさめる場合は「ただ言う」ではすみません。

 技術的に難しいことと、心理的な距離とは別物です。
 弱みを見せるというのは、技術的にはそれほど難しくありません。

「実はおれさ……」「実はわたしね……」と言うだけの話です。
 ただ、自分で心理的な規制をかけて難しくしてしまっているのです。 
 
 たとえ難しいことであっても、難しいと思ってしまうと余計に難しくしてしまう。
 「簡単なんだけど、自分が難しくしちゃってるんだ」と思っている方が、早期に実現できます。

 難しいと思うとね、難しい理由づけをあちこちから拾ってきて、ますますやらなくなるのよ。
 そうして、どんどん遠ざかってしまう。

「技術的には簡単なんだけど、自分が難しくしちゃってるだけ。
 だから、あとは踏ん切りがついたらいつでもできるはず」

 そう思っといてください。
 変な人に弱みを握られたら……と思うかもしれないですが、警戒心の強い人が変な人に弱みを握
らせるとは思えない(笑)。

「でも、信用していたのに裏切られたら……」と思うかもしれないですが、そんなことを考えていたらキリがない。

 その時はその時と思っていた方がよろしい。
 そんな簡単にね、自分は壊れはしません。自分はもっと強いはずだと思っていた方がよろしい。

 自転車に乗る前って、怖かったでしょ?
 でも、乗れるようになったら、なんでもない。

 なぜ自転車にうまく乗れないかわかりますか?
 支えもないのに走ったらこけちゃう、って「思い込んじゃう」からです。

 でも、力強くペダルをこげば、自転車は走ってくれる。
 精神的なことについても、同じことが言えるんです。
世界は広い
伊達めがね | URL | 2005-07-12-Tue 18:26 [EDIT]
鏡さん、こんにちは。

独我論で考えている場合というのは、自分の中にあるものしか使えない。けど、人に聞けば自分の中にないものも出てくる。
自分の中にあるものだけではかれるほど世界は狭くない訳で。

独我論で危険なのは結論を自分の都合のいいようにもっていけてしまうこと。はたから見て明らかにおかしい場合でも、独我論の世界ではいくらでも言い訳が聞く。
そんな言い訳が、他人の心に届くほど重みがあるわけがありません。
トラバさせていただきました
GRT | URL | 2005-07-13-Wed 14:42 [EDIT]
exactly right!
| URL | 2005-07-13-Wed 19:05 [EDIT]
●伊達めがねさん

 まったくその通り!
  
●GRTさん

 veryveryサンクスです!
 興味深い記事でした。

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