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Game Community Summit2012レジュメ
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Game Community Summit2012「どうすれば二流のプロから一流のプロになれるのか?」
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鏡裕之
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ウロボロス消費とセクシュアリティ
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■二流のプロから一流のプロになるためには?

「どうすればアマチュアがプロになれるのか?」
 素直さがあること。デフォルトの能力は関係ない。

■基礎論1・物語の機能

○物語の2つの機能
1.カタルシス
2.人生を見せる

■基礎論2・データベース消費からウロボロス消費へ

 人が生きるためには、物語が必要。なぜ死ぬの? なぜ不幸な目に遭うの? それは、こういうのが人生だからじゃよ。
 物語が、人々に人生を見せてくれる。

○近代以前
 宗教が物語の役目を果たしていた。宗教が「普遍的な物語」を人々に与えて、人生を解釈させていた。
 宗教は、見渡す限り広がる空のイメージ。その空から、人生の意味がシンプレックス(片方向的)に押しつけられる。トップダウン型のモデル。上から下への垂直性(超越性)がある。

○近代
 宗教の位置に近代国家が入れ代わる。
 近代国家が科学技術の発展と組んで、「大きな物語」を見せてくれていた。

○80年以降(近代以後)
 近代が崩壊⇒「大きな物語」は壊れて粉々に。「小さな物語」へ。
 「小さな物語」は、規模としては「普遍的な物語」や「大きな物語」より大規模に縮小している。イメージで言うと、雲1つ。
 小さな物語=フィクションが用意してくれる物語世界と物語設定。ボトムアップ型で、インタラクティブ(双方向的)。受け手が物語設定を参照(物語設定を読み込む)⇒物語設定から意味が返ってくる⇒解釈成功。下から上への垂直性がある。

○90年代
 「小さな物語」を複数の作品群にまたがって集積⇒データベース。
 データベース……「小さな物語」同様、ボトムアップ型でインタラクティブ。受け手がデータベースを参照⇒データベースから意味が返ってくる⇒解釈成功。これが、東浩紀の言うデータベース消費。

 データベース消費を行うのは、1960年頃生まれのオタク第1世代と1970年前後生まれの第2世代だけ。「大きな物語」を知っているからこそ、データベースという大きな集積体系を参照しようとする。下から上への垂直性がある。
 80年代生まれの第3世代と90年代生まれの第4世代は違う。それがウロボロス消費。

○ウロボロス消費
 オタク第3世代や第4世代の世界解釈=物語解釈の方法。
 シンプレックス(片方向的)。受け手から物語へアクセスして、そこでおしまい。垂直性はない。
 アクセスの中心点は、キャラクター。アクセスして気に入る⇒エンターテインメントという同一平面上を動く⇒TVが最初なら次は映画、次は小説、次はゲーム、次はマンガというように、ベンゼン環的な円環を描くように追跡消費をする。

 ゲーム、アニメ、マンガ、ラノベ……そういうコースターが円環状に並んでいるイメージ。そのコースターの上を、1つのキャラを追いかけて水平移動していく。そして、ベンゼン環のような円を描く。
 このような消費の仕方を、自分の尻尾を咥える蛇のイメージからウロボロス消費と呼んでいる。

○イラスト消費と深い物語消費
 ウロボロス消費には、超越的に上に位置するもの(超越性)がない⇒モラルのように、人に対して超越的に働きかけるものがないということに対応⇒大沢真幸は「第三者審級がない」と表現。

 コースター自身には厚みがある。この厚みが、物語。
 ウロボロス消費を最短&一瞬でやると、イラスト消費。絵描きAが描いた綾波レイのイラストを見る。次にBが描いた綾波レイを見る。次にC。次にD。これが一番速い。
 2001年に発刊されたマジキュープレミアムという雑誌。イラストという形でのウロボロス消費。
 2003年に休刊。代わりに2004年からラノベブーム。『Fate/stay night』大ヒット。
 何が起きたのか?

 2004年……90年代生まれの第4世代がラノベの中心読者になった年。
 2008年……90年代生まれの第4世代がノベルゲームに到達した年。すべての美少女ゲームに対してストーリー性が要求されるようになる。

 イラスト消費……コースターをぺったんこにして厚みをなくしたもの。
 深い物語の消費……コースターの厚みを増したもの。

 薄っぺらいコースターを消費するウロボロス消費から、厚みのあるコースターを消費するウロボロス消費に切り替わったということ。平たく言うと、物語という厚みを求めるようになったということ。

 どういうことか。

 キャラクターともっと深くコミットメントしたいということ。キャラクターと深くコミットメントするためには、イラストだけじゃ物足りない! 物語がほしい!
 『ラブプラス』は、まさにキャラクターとの1対1の深いコミットメントを具現化したゲーム。
 90年代の子は、深いコミットメントが足りていない⇒キャラクターとの深いコミットメントを実現するものとして、今はストーリー性が非常に重要⇒それを実現するものとして、ノベルゲーム。

 物語に対してインタラクティブなアプローチをしていた時代、すなわち大塚英志的な物語設定消費や東浩紀の言うデータベース消費が行われていた時代……ゲームというインタラクティブなメディアや、インタラクティブなアドベンチャーが元気だった時代に対応
 ウロボロス消費の時代……ノベルゲームが元気な時代に対応。

○ノベルゲーム内のマーケット変動
 80年代生まれがメインの客層だった頃……萌えキャラ全盛期。萌えとノベルゲームの消費。
 90年代がメインの客層……キャラクターとの1対1の深いコミットメントをストーリーの中で実現してくれるもの(ラノベ、ノベルゲーム)に時代がシフト

■基礎論3・オタク/腐女子とセクシュアリティ

「秋葉系コンテンツは、性的役割の受容に悩む人たちを対象にしている」

 性的役割の受容とは、男性は男性性を、女性は女性性を引き受けるということ。

 男性性というのは、オスらしさ。大人のオスになったら期待されること。
 女性性というのは、メスらしさ。大人のメスになったら期待されること。

 男性性の受容と育成に失敗して、男性性の発育が非常に未熟な人が男性オタク。女性性の受容と育成に失敗して、女性性の発育が非常に未熟な人が、腐女子。これがぼくたちのお客。

 男性性と女性性……思春期に萌芽。経年成長はせず。異性とコミットメントしなければ、成長しない。

 一般人と比べて、オタクや腐女子は、男性性や女性性が非常に低い段階でとどまっている。それによって、2つのことが発生する。

 1.現実社会の残酷さに対する適応度が不十分な状態になっている。そのため、秋葉系コンテンツでは、現実社会の残酷さがかなり抑えられている。

 2.オタクや腐女子にとって、セクシュアルな願いを叶えることは困難な状態。けれども、セクシュアルな欲望は消失するわけではない。そのセクシュアルな願いを叶えるために、男性向け女性向け問わず、秋葉系コンテンツには、必ずセクシュアルな要素が盛り込まれている。

■基礎論4・オタク/腐女子と劣等感
 ライトノベルの客層とノベルゲームの客層。両者は、求める主人公像が異なっている。主人公像を見れば、どういうユーザーなのかを推測することができる。

 ライトノベル……見るからにただ者ではなくて、やっぱりただ者ではなかったという主人公像を求める。ユーザーが理想的な姿として思い描くもの。
 ノベルゲーム……人間性も男性性も低く取り柄もない、ただの人。けれども、なぜかモテてしまう主人公が多い。基本的にはユーザーの似姿。

 両者の共通点は、「男性性の低さ」。
 両者の最大の違いは、「性的な劣等感や敗北感」の有無。

 ライトノベルの客……中高生がメイン。中高生では童貞が当たり前なので、性的な劣等感や性的な敗北感がない⇒それゆえ、理想的な姿を主人公に求める。
 ノベルゲームの客……大学生以上で性的な劣等感や性的な敗北感を持っている。自分を凄いと思えない人たち。それだけ自尊心が傷ついている。理想的な姿は自分とかけ離れていて感情移入できない。

 なぜこの違いが生まれるのか。
 鍵は18歳。

 現実社会の残酷さ=資本主義社会の残酷さ。高校まではその残酷さに対してシールドされている。
 しかし、高校を離れた途端、学歴カーストに完全に巻き込まれてしまう。学歴カーストは、資本主義社会でのカーストにつながっている。ここで、挫折と敗北が始まる。会社に入ると、さらに現実社会の残酷さが襲いかかる。オタクや腐女子の多くは下流社会。

・学歴カーストでの劣等感。
・恋愛カーストでの劣等感。
・性的な敗北感。
・経済的な劣等感。

 この4つの敗北感・劣等感に苦しんでいるのが、オタクであり、腐女子。つまり、ぼくらのお客。そしてその人たちを楽しませるのが、ぼくらの仕事。

 秋葉系コンテンツには、そのための配慮が満ちあふれている。
 たとえば、恋愛カーストでの劣等感をクリアーするために、特に男性向けではイケメンが、打ち倒されるライバルとして登場する。
 経済的な劣等感をクリアーするために、大金持ちの女性や男性が登場する。大金持ちの子と恋愛し、その子を所有することで、経済的な劣等感を一時的に吹き飛ばす。

■基礎論5・ゼロ人称

「ノベルゲームの一人称は、ゼロ人称」

 三人称客観=客観的な、第三者的な視点で見る視線。
 近代国家が生まれて母国語という共通ベースが誕生した時、小説の世界に三人称客観が生まれた(大沢真幸が『ナショナリズムの由来』の中で紹介している議論)。⇒一人称にも二人称にも三人称にも、三人称客観というのが入っている。
 だが、ノベルゲームの一人称には、三人称客観が入っていない。

 たとえば「ぼく」という一人称。
 小説では「ぼく」という第三者を見ている。「ぼくはよくおねしょをしていた」という小説の文章を読んでも「自分は違う!」と頭に来る人はいない⇒三人称客観が入っているから、他人のこととして眺めている。
 しかし、ノベルゲームの場合、いやな気分がする。主人公にのめりこんでいけない⇒三人称客観が入っていないから。

 三人称客観の問題を、映像で捉えなおす。

 小説、マンガ、映画――通常のエンターテインメントは、すべて客観ショットがメイン。サブ的に主観ショットを使う。
 ノベルゲームだけが、主観ショットがメイン。イベントCGという限定的な形で客観ショットを使用。
 客観ショットでは、他人のこととして眺める。主観ショットでは、自分のことのように捉えてしまう。

 小説の一人称……客観ショットで捉えられたもの。
 ノベルゲームの一人称……、主観ショットで捉えられたもの。
 両者を同じものとして考えることはできない。ノベルゲームの一人称=「ゼロ人称」。

 小説……三人称客観システム
 ノベルゲームはゼロ人称システム
 ノベルゲームは、「ノベル」という名前がついていても小説ではない⇒ノベルゲームでは、小説みたいな書き方をしてはいけない。

 主観ショットの物語では、主人公は眼鏡。眼鏡に余計なものをつけると見えづらくてストレスが生じる。だから、主人公は透明になることが多い。ノベルゲームの主人公は細心の注意が必要。

まとめ

・秋葉系コンテンツは、男性性の受容と育成に失敗している男性と、女性性の受容と育成に失敗している女性をターゲットにしている。
・ライトノベルのメイン読者には、性的な劣等感がない。対してノベルゲームのメイン読者には、性的な劣等感、学歴カーストの劣等感、恋愛カーストの劣等感、経済的な劣等感がある。
・ノベルゲームの一人称は、ゼロ人称であり、三人称客観が入っていない。したがって、小説とは別物であな、主人公には細心の注意を払わねばならない。

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ノベルゲームと社会
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■ノベルゲームとは?

・インタラクティブ性が少ない
・ストーリー性が強い
・主観ショットが主(主観ショットをゲーム的に映像表現すると、「背景+立ちポーズ」になる)

 ここまでが「ノベルゲーム」という形式の定義。

・シナリオが1MB以上

 この条件を追加すると、ノベルゲームというジャンルの定義になる。
 ジャンルとしての4条件を、恐らく最初に満たしたのが、2000年発売の『Air』(Key)。

■なぜノベルゲームとアドベンチャーゲームの立場は逆転したのか?
 キーとなるのは95年。
 95年は2つの重要な事象が起きている。

 1.Windows95の誕生
 2.バブル時代から希望格差時代への社会変化

■Windows95がもたらした客層の変化とゲーム性消失

 Windows95以前……つわものの時代。分岐ものは自分で分岐をメモする、RPGのマップは図面を書く、あるいは脳内に図面を書くというプレイヤーが多かった。確率1/6000でトゥルーハッピーエンディングにたどり着くゲームでも、苦情はなかった。
 Windows95以降⇒ビギナーが多数乱入。複雑なゲーム性のゲームは「攻略できない」「面倒臭い」として文句を言われる⇒複雑なゲーム性を入れづらくなる⇒ゲーム性が後退⇒ゲーム性消失への大きな布石。

■理系エリートからノンエリートへ、バブル世代からY世代へ

 95年以前……客層はDOSを駆使できる理系エリート。理系エリートとして自分を凄いと思えるベースがある。それゆえ、理想的な姿を主人公像として持つことができた(ここは、ラノベ読者と共通)。またバブル世代であり、社会には「恋愛マニュアル」という男性性を育てるプログラムがあった。『同級生2』の一匹狼の主人公は、彼らの理想像。

 95年以降……客層はノンエリート。自分を凄いと思えるペースがない。それゆえ、理想的な姿を主人公像として持てない。Y世代であり、男性性を育てるプログラムは消失。一匹狼は彼らが求める主人公ではない。

 理系エリート⇒知的な積極性⇒インタラクティブ性(ゲーム性)の高いゲームを好む。攻略やコンプリートに命を懸ける。
 ノンエリート⇒知的な積極性を持たず、受動的。攻略やコンプリートに命を懸けるタイプではない⇒面倒臭いものを忌避、受動的なものへシフト⇒それにマーケットが呼応して、ゲームは「参加するメディア」から「読むメディア」へ。

 参加するメディア=インタラクティブ性の高いアドベンチャーゲームなど。
 読むメディア=ノベルゲーム。

■社会変化とゲームへの態度の関連

 95年以前は「頑張れば夢は叶うし、生きている意味も見つかる」という社会。
 95年以後は「頑張っても夢は叶わないし、生きている意味も見つからない」という社会。

 「頑張れば生きている意味も見つかる」という社会的雰囲気と「頑張れば複雑なアドベンチャーゲームでも謎は読み解ける」という姿勢は共通性が高い。
 「頑張っても生きる意味は見つからない」という社会的雰囲気と「面倒臭いことをして複雑なアドベンチャーゲームの謎解きをしたくない」という姿勢は、共通性が高い。

 参考までに。
 ノベルゲームの誕生として位置づけられるのは、1996年の『痕』。96年は、95年以降の世界。非常に象徴的。

■ストーリー性追求の強化
 「ノンエリート=Y世代」の増加に対応するかのように、ストーリー性を強化した有名なノベルゲームが生まれる。

・97年の『To Heart』……ストーリー性強化第1弾
・99年の『kanon』……ストーリー性強化第2弾
※泣きゲーとは、プレイヤーの挫折感や喪失感を刺激することによって涙のカタルシスを味わわせることを主眼としたノベルゲームのこと。
・2000年の『Air』とニトロプラスの成功
・2004年『Fate/stay night』……ストーリー性強化第3弾&アドベンチャー的ゲーム性追求の流れは消失

 現在、Y世代は、すでにメインの客層から後退。
 しかし、格差社会の中では、社会は不安定。その中で、不安な中でアドベンチャー的な積極的な謎解きをするのは厳しい。けれども、安心した上での積極的な謎解きならOK。
 『逆転裁判』⇒「必ず無実にできるはずだ」という安心感の上での積極的な謎解きがOKだということを証明。

まとめ

 Windows95は客層を変化させた。そして「バブル時代から希望格差時代への社会変化」は、客層のメンタリティに変化を起こしていた。そして両者によってゲーム性の後退が起こり、代わりにストーリー性追求の流れが強化された。

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  一流と二流
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■ノベルゲームのエンターテインメント
 ノベルゲームで人を楽しませるとは、具体的にはどうすることか。

・ストーリー
・主人公
・男性向けの場合はヒロイン、女性向けの場合はヒーロー

 この3つでお客を楽しませるということ。

■現代の秋葉系作家の技術
 秋葉系コンテンツで物語を書くという場合、3つの技術が必要とされる。

・キャラクター技術
・プロット技術
・ライティング技術

 この3つの技術の出来具合で、作品のレベルが決まる。

■プロはどの技術を意図的に磨けばいいのか?

 プロット技術!

 ジャンルとしてのノベルゲームの定義を思い出すこと。
「インタラクティブ性が少なく」「ストーリー性が強く」「シナリオが長い」ということは、「プロット技術とライティング技術に比重が掛かる」ということ。

■ノベルゲームはアウェイ状況
 2004年以降のノベルゲーム……ゲームだからこそ持っていたインタラクティブ性(ゲーム性)を捨ててストーリー勝負へ⇒ラノベと競合状態。
 ライティング技術もプロット技術も、ラノベ作家の方がゲームクリエイターより上。ラノベの方がゲームより遥かに安い⇒ストーリーはラノベの本領、アウェイ状況。
 しょうもないストーリーでしょうもないテキストを書いてでは、勝負にならない。ノベルゲームで本当に勝ち抜くためには、ラノベレベルのプロット技術とライティング技術が必要。そして、今ソフトハウスで一番弱いのが、この両方の技術。

 では、どうするのか。
 クリエイターとして、二流のプロから一流のプロになるしかない。

■人間性の高低と、プロの高低
 人間性の低い条件をひっくり返すと、人間性の高い条件になる。同様に、二流のプロの条件をひっくり返すと、一流のプロの条件になる。

■二流の条件
 クリエイター全般に言える二流の条件

・連絡が遅い
・電話レベルとメールレベルの使い分けができない
・自分からプラスアルファを提示しない
・リテイクをお願いされると、説得力のない言い訳で抵抗する
・巨視的ではなく、微視的で、メタレベルが低い
・どうでもいいディテールにこだわって、本質的なところをスルーする
・他人に仕事を任せられない
・読者の満足を考えていない
・コンディション管理ができていない
・すぐ凹む
・決断が遅い

 二流のシナリオライターの条件

・無闇に冒頭が長い
・無駄にダラダラしているシーンが多い
・削る技術と圧縮する技術がない
・台詞も文章もいまいち
・人間が描けない
・年齢差のあるキャラが描けない
・プロット技術が貧弱

 一流になるために大切なこと、そして二流の人を扱うために大切なことは、なぜ二流なのかを理解すること。

■二流の条件~クリエイター編~
○連絡が遅い
○仕事が遅い

 一流は連絡が早く、二流は連絡が遅い。
 連絡が遅い⇒いつも自分が優先させたいことに関わっていて、連絡相手に意識が向かっていないということ。つまり、自分優先で仕事が遅い。そのような人が、よいチームワークを発揮できるか?

 一流の人は、相手をしっかり見て仕事をしている。つまり、意識がしっかりと他人に向かっている。二流は他人に意識が向かわず、自分の中にとどまっている。それが連絡の遅さという形で表れる。

 仕事に対しての一流的な基本的考え
 仕事はすぐやるもの! 仕事が遅い人は、すぐやらないで後回しをする。
 すぐやるというのは、すぐ「全部やる」ではなくて、すぐ「手をつける」ということ。
○電話レベルとメールレベルの使い分けができない

 なぜ使い分けないのか?
 面倒臭いから。メールだと楽だから。つまり、自分優先。他人への意識が弱い。けれども、メールは必ず伝わるわけではない。「伝わった気分になる」だけ。そこが非常に危険。
 仕事のトラブルは、基本的にコミュニケーションのトラブル。
 社内でも問題が発生するし、特に外注との間には深刻な問題を引き起こす。特にに外注と対処する場合、なんでもかんでもメールではだめ。こちらが申し訳ないことをしているのに「すみませんでした」のメールでは、誠意が伝わらない。
 基本的に、外注さんとのおつきあいは、恋愛と同じ。記念日にはちゃんと連絡する。「あなたを大切にしていますよ」というメッセージを発信することが大切。

○決断が遅い

 決断が遅い2つの理由

 1.損失を考えるから。損失を考えて、一番大切なことを考えていないから。一番大切なことが見えていないから、「しょうもないディテールにこだわって、本質的なところをスルーする」。

 2.他人の脳味噌を使えていないから。
 一流の人は、他人に意見を聞ける。「このことならば、この人に相談すればいい」「あのことならば、あの人に相談すればいい」というのができあがっている。二流の人は自分の脳味噌だけでヒイヒイ言っている。

○自分からプラスアルファを提示しない
○リテイクをお願いされると、説得力のない言い訳で抵抗する

 自分優先だから起きる行動パターン。作品のためとかファンのためとか考えていない。自分が余計な仕事をしたくないだけ。

 仕事の基本は、プラスアルファをすること。
 プラスアルファしない人、全然リテイクに応じてくれない人。そんな外注を使いたいと思う人はいない。

○巨視的ではなく、微視的で、メタレベルが低い
○読者の満足を考えていない
 
 これも自分優先の結果。
 二流の人は、自分が凄くないことに気づいている。でも、自分を凄いと思いたい。凄いと言われたい。つまり、自分にばかり意識が集中している。
 結果、読者という他人には意識が向かない。当然、視点も狭くなる。巨視的ではなく微視的になる。微視的になるからメタレベルが低い。

○他人に仕事を任せられない
 中途半端に仕事ができる人がそう。
 自分が優秀だということを証明したいだけ。視点が微視的で短期的で、仕事を任せた場合の短期的な損失ばかり考えているから、他人に仕事を任せられない。
 仕事を任せることでチーム全体が将来的に成長し、チーム全体でより相乗効果を発揮するという中長期的なことを考えていない。
 一流の人は、自分の優秀さを証明することにあまり興味がない。任せるべきところでは他人に仕事を任せる。相乗効果というものに意識が向かっている。

○コンディション管理ができていない

 一流はコンディション管理を行う。忙しいから。だから、1年間を通してフルに働けるように自分のコンディションを整えていく。筋トレをしたり、休みを取ったり、栄養に気をつけたりする。
 特に35歳を越えた人は、コンディション管理が重要。仕事は筋肉。一流レベルの仕事は、健全な肉体に宿る。筋肉のない人は仕事のスピードが落ちる。

■いつでも集中するためには?

 集中力はPhysical。
 脳内の酸素濃度が高いことが重要。酸欠だと脳は集中できない。大腿二頭筋とヒラメ筋を鍛えることが重要。特に35歳以降は、仕事は筋肉。

○すぐ凹む

 二流はすぐ凹んで不平を託(かこ)ち、一流の人は打たれ強い。才能があっても、打たれ弱い人はすぐ沈んでゆく。10年20年と長くやろうとするなら、打たれ強くないとだめ。
 打たれ強くなるためには、負の変換器が必要。いやなことが起きた時や腹が立つことが起きた時に、それが実はマイナスではなくプラスなんだと変換する心の変換器がいる。
 マイナスのことは不運だとみなさんは思っているが、大間違い。あれはマリオなんかのボーナスポイント。自分をバージョンアップさせるためのご褒美。あるメンタルスキルを身に着けさせるために発生する。そこで覚えとくと後先いいよっていうメッセージ。だから、不愉快なだけで、実は思い切りツイている。そこでぶーぶー言って逃げるから、どんどん二流になる。「こういうメンタルスキルをおれに覚えろってか?」と気づくと、いやなことは一瞬で過ぎ去ってしまうし、一流に近づく。

■一流の条件~クリエイター編~

 二流は、狭い自分の世界に閉じこもって、自分をかまってほしい、自分を凄いと思ってほしいとばかり思っている。いやなことがあると、悲劇のヒロインになる。

 一流は、

・意識がクライアントという他人、エンドユーザーという他人の満足にしっかり向かっている
・凄いと思われたい、凄いと感じたいということに囚われていない
・負の変換能力が高い

まとめ

 一流の人は連絡が速い。クライアントやお客といった他人をしっかり意識しており、プラスアルファを惜しまない。巨視的でロングランの視点を持ち、健康管理を怠らない。かまってちゃんとは縁遠く、いやなことに対する心の変換能力が非常に高い。

■二流の条件~シナリオライター編~

・冒頭が無闇に長い
・無駄にダラダラしているシーンが多い
・削る技術と圧縮する技術がない
・人間が描けない
・年齢差のあるキャラが描けない
・引き出しが少ない
・台詞も文章もいまいち
・プロット技術が貧弱

■無闇に冒頭が長い

 小説の世界では、1頁目で売り上げが決まる。そこですぐ置き戻されたら終わり。戻されないように、相手を引っ込むように書く。そういう緊張感がある。
 ゲームにはその緊張感がない。

 ノベルゲームは小説との競合商品。小説が持っている緊張感や意識を持っていなければ、とてもラノベに太刀打ちできない。

 クリックは苦痛だということ。それを考えてほしい。苦痛だから、苦痛じゃないように削ってノイズを取り除く。
 廃液の垂れ流しみたいに書いた文章を、あなた方はお客さんに読ませるのか?

■無駄にダラダラしているシーンが多い

 主観ショットは実況中継⇒実況中継はダラダラになる。しかし、必要なダラダラと不要なダラダラがある。必要なダラダラでも、最適な長さのダラダラと、過剰な長さのダラダラがある。
 不要なダラダラを書かず、最適な長さのダラダラを書く。
 それが一流。過剰な長さの必要なダラダラを書く人は二流。不要なダラダラを書く人は三流。

■ダラダラと現代社会の問題。
 ストレス増大社会=格差社会で、過剰な緊張状態を強いられている⇒だから、ゆるくしたい⇒ダラダラはそういう心理を反映

 ダラダラをダラダラ書けばダラダラ感が出るわけではない。
 ダラダラ書かずにダラダラ感を出すのが、プロ。それが一流。

 ダラダラにはゲームの固有性も関わっている。
 映画、小説、マンガ――デジタル時代になったからといって、尺の長さは変わっていない。しかし、ノベルゲームに関しては、FD、CD-ROM、DVD……どんどん長くなっている。だから、他の業界にはある「尺に合わせて削る」という作業ができていない。だから、この業界は一番ライティング技術が低い。

 しかし、今はエンターテインメントが高密度&ハイスピード化している。
 面白さとは、ネタの密度とネタのスケール。
 密度が高くなれば、おのずとスピードも上がる。しかし、ダラダラ書く技術では、密度を上げられない。テンポも悪化する。それでは、ラノベに向かっている客をこっちに引き戻せない。

■削る技術と圧縮する技術がない

 削る技術、圧縮する技術……プロになってから覚える技術。そして、書き手の中で一番難しい技術。
 圧縮する技術、削る技術があるとダラダラした文章を書かなくなる。
 では、どうすれば、圧縮する技術と削る技術が手に入るのか? ダラダラした文章を書かなくなるのか。
 方法は2つ。

 1つめ。
「死んでもその文章をクリックさせたいのか?」

 そう問いかける意識を持つこと。死んでもなら書けばいい。

 2つめ。
 「どこから始めるべきなのか、どこで終わるべきなのか」。シーンの離着陸の最短のポイントを見極めようとすること。
 鍛えるためには、100行で書いたシーンを無理矢理半分の50行で書き直す。すると、「ここだけは」というところが残るようになる。

■台詞も文章もいまいち

 大切なのは、レベルの高いものを吸収するということ。
 残念だけど、ラノベもアニメもレベルは高くない。アニメばかり見ても台詞の力は上がらないし、ラノベばかり読んでも文章力は上がらない。

 台詞の力を上げたい⇒レベルの高いドラマを10回以上くり返して見ること。
 文章力を上げたい⇒一般大衆向けの小説で、何かの賞を獲っている作家の本で、自分が好きだなと思えるものを10回以上読むこと。そして、文章を書いている時に困ったら参考になる箇所を読む。

 小説には語りと描写がある。語りはニュース原稿。描写は実況中継。
 
 描写の意味。
 クローズショット。クローズショットにする必要のあるものだけを描写すること!

 背景描写は、心理描写。心理描写ができないと背景描写ができない。

 心理描写は、人の深い感情の動きや大きな感情の変化などを目にしないと不可能。そのために同性や異性と1対1の深いコミットメントが必要。

■人間が描けない

 人間理解は、物語のベース。
 人間を理解していない⇒いいプロットを立てられない。

 人間を描く=正常じゃない人間の姿を描くこと。
 落ち込んでいる時や悲しんでいる時、あるいは怒っている時の状態の人間を描けるかということ⇒そしてそういう状態の人間は、集団活動中には見えてこない。1対1の深いコミットメントをしていると、一番よく目撃する。

■年齢差のあるキャラが描けない

 人間が普通に書けるのは、自分より2つ上ぐらい。がんばって5つ上。それより上になると、役職が全然違うし、キャリアパスが違ってしまう。そのために書けない。

 では、どうすればいいのか。
 ビジネスのトップについての本を読むこと、年上のレベルの高い人と付き合うこと、またおじさんたちや偉い人が来る場所に行くこと。新幹線のグリーン車とかね。両親も重要な情報源になる。
 新入社員が読む本というベストセラーにも書いてある。同期と飲むな。自分よりランクの高い人と飲め。

■引き出しが少ない

 引き出しが多いとは、他人の脳味噌が詰まっているということ。真面目な本には、他人の脳味噌が詰まっている。
 作詞家&プロデューサーの秋元康の言葉。「本屋に行ったら、3メートル先の本を読みなさい」。
 新書やもう少し難しい本を読むこと。たとえば、ぼくの『非実在青少年論~オタクと資本主義~』(愛育社)!

 それから、「自分とは違う人と話をすること」。同じ趣味の人、分かり合える人としゃべっていても、引き出しは増えない。
 ディスコミュニケーションを楽しめ!

■プロット技術が貧弱

 ぼくの『美少女ゲームシナリオバイブル』(愛育社)を10回読むのが一番!

 二流の人はプロットでの粘りがない。
 一度完成しても、本当にそれで面白いかプロットを読み直す。息が詰まりそうになったからやめるではなく、息が詰まっても死ぬまでやるくらいの気持ちが必要。粘りがないと、プロットは一流レベルに到達しない。

■補足1.天才・秀才・凡才

 天才、秀才、凡才という区別……脳味噌のタイプ。小学5、6年頃の代数的な算数をどう解いていたかで、脳味噌のタイプがわかる。

 天才タイプの脳味噌……途中経過がはっきりしないで、なんかわからんうちに答えが出ていた人
 秀才タイプの脳味噌……プロセスがはっきりしていて答えが出ていた人
 凡才タイプの脳味噌……答えが出ない人

 真実を把握するスピードは、一番天才タイプが速い。1人のデータからも答えを得る。秀才タイプは数がたまらないと答えが出づらい。「データが1000個たまらないと、正確なところはわからない」なんて言うタイプ。凡才は、ひたすら経験の積み重ねでたどり着く。

 天才とか秀才とかは、目指すものに非ず。そこにこだわっている人は、ただ「自分は凄い」って思いたいだけ。そこに意識がとどまっている時点で二流。

 大切なのは、自分がどのタイプかということ。
 天才タイプは、自分の直感をとにかく判断の軸にすること。秀才タイプは、自分より上の天才タイプがあるんだということに気づくこと。
 その上で、お客さんの満足を考える。そうすれば、天才だろうと秀才だろうと凡才だろうと、一流になれる。

■補足2.天才も秀才も超えるもの
 どうやったら超一流になれるのか?

 怪物になること。
 怪物とは、クリエイターとしてのスケールが違うということ。怪物には、天才も秀才も凡才も敵わない。

○どうやったら怪物になれるのか?

1.圧倒的なストックを蓄える!
2.圧倒的な没量をスピーディーに行う!
3.面白さに対して粘りまくる

○忘れないこと!
 いいお話というのは、1カ月で効果が消える。『美少女ゲームシナリオバイブル』も、今日の講演も同じ。毎月見直すこと!

○参考資料
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