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オレ的の深層
 オレ的という言い方がある。
 
「オレ的にはオッケー」
「オレ的にはね、●●はダメ」

 なんて使い方をする。
 オレ的(おれてき)とは、「おれとしては」という意味である。変形として、「ボク的」「わたし的」という言い方もある。わし的というのは聞いたことがない。
 恐らく、流行が始まったのは1998年頃だろう。
 1997年発売の『若者ことば辞典』には、「~的」は載っていない。『現代用語の基礎知識1998年版』には、「~的」が紹介されている。
 『日本俗語大辞典』(東京堂出版)によれば、テレビ番組「恋のから騒ぎ」から流行したのだそうだ。
 旺文社・生涯学習検定センターが2002年7月、小中高生に対して行ったアンケートの結果では、「~的」を使うのは55%。今では6割の小中高生たちが「~的」を使っていると推測される。
 ただ、それが正しい日本語だと思っている子たちは少ないようで、6割以上が間違いと意識している。
 にもかかわらず、なぜ「オレ的」「わたし的」を使うのだろうか。
 みんなが使っているから……、だけではあるまい。
 ヒントは、恐らく「恋のから騒ぎ」にある。

 「恋のから騒ぎ」では、毎回、恋愛についてあるテーマが設定される。それに対して、20人近くの素人女性があけっぴろげな発言を披露、パーソナリティーの明石家さんまが突っ込むという形をとっている。
 女同士でブラウン管が絡めば、目立とうとするのは当たり前。でも、
表面的な争いは避けて円満に行こうとするのが、女の心理。
 和気藹々としながら目立ちたい。
 だが、たとえば別の人の意見に対して「わたしはだめ」というように「わたしは」という言い方をしてしまうと、凄く強い拒絶になってしまう。「は」には、排除するような響きがあるからだ。結果、「わたしは」という言い方をすることによって、和気藹々や円満を崩す恐れがある。
 けれども、「わたし的にはだめ」という言い方なら、強い拒絶にはならない。やわらかく自分の個性を主張できるし、相手も自分の個性を受け止めやすくなる。
 個性は出しつつ、でも、角は立てず。
 他を拒絶するイメージを与えず、ちゃっかり自分の意見を主張する。
 そのための言葉としては、「~的には」という言い方はぴったりなのだ。
 では、それがなぜ、今になって使われるようになったのか。なぜ「わたしは」「おれは」と言えないのか。
 少なくとも、1990年代までは、「おれは」「わたしは」を使って好き嫌いや個人的な感想を口にしていたはずである。それが、なぜ言えなくなってしまったのか。
 そこには、「おれは」と「オレ的には」の違いがある。

 第1の違いは、絶対性と相対性である。
 「おれは」という言い方は絶対性が強い。対して、「オレ的には」という言い方は相対性が強い。
 ご飯を食べた後に感想を聞かれて、「おれはまずかった」というのと
「オレ的にはまずかった」というのとは違う。
 たとえば、前者の場合の会話のつながりを考えてみよう。

 「おれはまずかった」
 「おまえ味覚おかしいんじゃねえの?」
 「だって、まずいだろ」

 他人が突っ込もうと、自分にはまずく感じられたというのは動かしがたい事実だ。その事実は絶対的なものである。「おれは」という言い方には、そういう部分がある。
 では、後者の場合はどうか。

 「オレ的にはまずかった」
 「あ、そう? おれ的には結構うまかったけどな」
 「へーえ」

 「オレ的には」を用いた場合、いろんな「オレ的」があって、その中のひとつというイメージがある。つまり、「オレ的」は相対性が強いわけだ。
 絶対性と相対性──これが第1の違いである。
   
 第2の違いは、全体と部分である。
 「おれは」というと、おれという個全体、おれという人間全部になってしまう。
 だが、「オレ的には」ならば、そこで指されているのは「おれの感性」というおれの一部分であって、「おれ全体」ではない。あくまでも部分である。
 おれ全体をみんなに提示するのは、勇気がいる。全体を出せば、それだけトラブルの可能性が高くなるからだ。
 けれども、「おれの一部」なら、勇気はいらない。
 臆病な子でも、「オレ的」を使うことで自分の好き嫌いや価値判断を口にできる。
 「おれ」と「オレ的」には、絶対性/相対性、全体/部分という二重の違いがあるのだ。そして、この二重の違いには、ある心理的な側面が隠されている。
 「~的」という言い方ではないが、次の2つの言い方を比べてみてほしい。

 「おれ、寿司好きなんです」
 「おれ、寿司好きな人なんです」

 「おれ、寿司好きなんです」という言い方には、そう発言することで起こるトラブルから逃げようという態度はない。
 しかし、「おれ、寿司好きな人なんです」はどうか。
 おれ、寿司が好きな人なんです。そういう人なんです。そういう生き物なんです。だから、突っ込まないでね。
 自己表現するだけでなく、トラブルを回避しようとする戦略が見て取れる。そこに透けて見えるのは、臆病さ、個としての弱さだ。
 「オレ的」「わたし的」という言い方にも、同じものがある。
 全体ではなく部分を使うのは、他人に向かって自分を曝(さら)け出していくのが怖いからという心理があるのだろう。
 絶対性の強い言い方の代わりに相対性の強い言い方をするのも同じこと。
 「オレ的」「わたし的」を多用する子たちは、自分全体を他人に向かってぶつけることに対して、たぶん、臆病なのだ。
 やわらかく意見や感想を言う言葉としては、「オレ的」「わたし的」ほど便利なものはない。いちいち「個人的には」と断り書きしなくても、同じニュアンスを与えて、なおかつ、トラブルも回避できる。
 でも、それを多用する裏には、臆病さが潜んでいる。
 そしてそれは、核のない子供たち──己のなかに絶対的な基準(柱)がなく相対的なものしかない子供たち──が増えていることを、意味しているのだ。オレ的を多用する子たちは、それ以前の世代に比べると芯の抜けた子たちなのである。
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COMMENT

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「一億総中流」
某フリーター | URL | 2005-04-07-Thu 10:37 [EDIT]
困った時代ですねぇ。
「主体性のある者が、より人生を愉しめる」時代でありながら「みんな平等です」という教育というのは。
「みんな平等です」というのは「一億総中流」という考え方の産物のような気がしてきました。
教育で「芯」を抜いて「芯をもて」・・・。
「学歴主義社会」にも似たようなものがあります。
「オレオレ詐欺」
某フリーター | URL | 2005-04-07-Thu 14:54 [EDIT]
どうもです。また書かせていただきます。

俺という言葉から「オレオレ詐欺」をおもいだしました。
実際にしゃべっている言葉は「オレ的」なのに、
親からすれば「オレ」になる・・・。
「オレオレ詐欺」が蔓延するはずです。
「オレ的」という言葉で自分を隠す一方、「オレオレ詐欺」で自分を主張して悪事を働く・・・変な時代です。

| URL | 2005-04-08-Fri 02:09 [EDIT]
 オレオレ詐欺とオレ的は全然関係ないと思うぞ。
 論理飛躍しすぎ。
「この時代を作ったのは負け組みの団塊世代」
某フリーター | URL | 2005-04-08-Fri 05:30 [EDIT]
そうですねぇ。関係なさそうです。すみませんでした。

あの北野監督が言っていたのですが、
「この時代を作ったのは負け組みの団塊世代」という話があったのですが本当でしょうか?
言葉の乱れ?
アーバイン | URL | 2005-04-08-Fri 09:46 [EDIT]
「オレ的」以外にも強い主張をさけるために、「~じゃない?」という従来は日本語になかった
はずの (間違ってたらごめんなさい) 反復疑問文も結構広く使われている。

あと、顕著な例として、「ヤバイ」という言葉の用法の変化がある。つまり「この料理、ヤバイくない?」という表現である。意味は、「この料理、美味しくない?」である。"You're Bad!"という褒め言葉の黒人スラム表現があるが、「ヤバイ」を肯定的場面で使うところはそれに通ずるものがあり、前記の反復疑問文などは英語の正統的な表現である。

米国のような競争社会への変遷の中で、言葉までアメリカ化したのだろうか? 日本人は他国の国民に比べて適応能力が高いと言われるが、競争激化を少しでも軽減しようとする本能のなせる業なのだろうか?

ちなみに、ご存知だとは思うが、米国は努力する人間には最高の場所だが、少しでも努力しない人間にはこれほどイヤなとこはない、という国である。また、日本に比べてやり直しが何度でも効くため高学歴を取得し易い社会システムでもあり、それ故、日本など比較にならない学歴至上主義の社会である。「高校中退の生涯収入は、高卒資格を持つ者よりも46%低い」というTV CMが警鐘の意味を込めて普通に放映されていたりもする。但し、アメリカでは、高校は中退可能な義務教育ではあるが。

| URL | 2005-04-08-Fri 10:11 [EDIT]
●某フリーター君

 団塊世代が今の時代を作ったのは確かだが、その連中が負け組だったかどうかは情報なし。
 その話をしている時のたけしのやりとりの完全記録があればわかると思う。

●アーバイン君

 「~じゃない」「~な人だから」「オレ的」は、衝突回避ツールだな。

 しかし、元犯罪者用語がそんなふうになったのか……!
 と思って辞典を調べたら、「凄くいい」という意味が載っとるね。しかし、「この料理ヤバイく
ない?」なんて言われたら、意思の疎通できんな。

 ヤバイくない? を多用しているのは、むしろゆとり教育の元で育ってしまった競争社会に不適
応な子供じゃないかとおれは推測しとるのよ。
 アメリカ化したのではなく、別の力学が働いたのかもしれんなあ。

 しかし、超学歴社会とは、さすがアメリカ。
 韓国とどっちが学歴社会かね? どっちもどっち?
米国 v.s. 韓国
アーバイン | URL | 2005-04-08-Fri 11:03 [EDIT]
確か、たけしのTVタックルか何かで、「ゆとり教育」についての議論があり、その中でゆとり教育世代の女子アナが突然涙を流し始めて「私達って知らない間にバカに育てられてたの? 凄く悔しい!」と言っていたのが印象的だった。

さて、韓国 v.s. 米国 だが、性質が余りに異なる。

韓国は国家財政破綻でIMFの管理下となり、ユダヤ資本に食い尽くされたため、英語が非常に重要なものとなっているし、徴兵制があるので、何度も受験に挑む、即ち「やり直し」が効く社会システムにはなっているとは到底思えない。また、日本の元旧帝国大学であるソウル大学は東京大学の4倍の学生数だ。但し、「ゆとり教育」なるふざけた教育を行っていないだけに、日本よりも熾烈な受験戦争が巻き起こっているのかも知れない。

方や米国。こちらは「やり直し」が効く社会システムである。CollegeからUniversityへのTransferなんてのは当たり前で、USC(南カリフォルニア大)などは、経費削減の理由もあって、3年生からのCollege転入が学生の大半であったりする。つまり、高校卒業後に良い大学に入学できなくても、Collegeで頑張って良い成績を収めれば、有名大学へ編入できるのである。

また、企業に勤めてから必要な知識や技能を修得するために、企業が修士課程への通学を支援する事も多いし、そういう社会保障システムがかなりしっかりしている。SanJoseのサンタクララ大学などは、そうした企業の要望に非常に柔軟に答えるための社会人向け修士コースを設置していたりする。

MBAなども業務経験がある事が重要なので、Collegeで会計学を専攻し、大学卒業資格を取得してから一旦就職してお金をためてから、業務実績とCollegeでの成績を携えて名門の修士課程へ進学してMBAを取得する、というのが王道だ。

つまり、米国では、「ここで落ちたらハイさいなら~」というのが日本や韓国ほど顕著でないのである。

最近通っているカイロプラクティックのジムの学生バイトの女の子などは典型例かも知れない。
College入学時は演劇科だったそうなのだが、3年になって米国での就職を真剣に考え始めたらしく、今は生物学専攻となっている。こっちでは、「オレやっぱ医者にないたいから医学部に移るわ」と社会学専攻の学生が言って、実際に実現するなんてのも別段不思議な事ではない。まあ、医学部はお金がかかるけどね。

なので、米国は「機会の均等」をきちっと保障した上での「学歴至上主義」なので、韓国のそれとは異なると思う。


あ、あと蛇足だが、ロスあたりのヌードショーなどで踊っている若くて可愛い女の子達は、それで学費を稼いでいる事が多い。貧富の差は大きいからね。まあ、それに関しては、地方から出てきた女の子が働く日本のキャバクラだと思えばよいのかも知れんが。でも、何か違う気がするなあ。
すまん!
アーバイン | URL | 2005-04-08-Fri 11:15 [EDIT]
>MBAなども業務経験がある事が重要なので、Collegeで会計学を専攻し、大学卒業資格を取得してから一旦就職してお金をためてから、業務実績とCollegeでの成績を携えて名門の修士課程へ進学してMBAを取得する、というのが王道だ。

↑ 「王道」は言い過ぎ。「一つのサクセスストーリー」くらいの意味です。ごめんなさい。
「~的」は使いません
初心者 | URL | 2005-04-08-Fri 12:32 [EDIT]
私は、「~的」は使いません。
たとえば誰かと映画の話をしてるとして、
「私的には、あの映画好きじゃないかも」と言うくらいなら、
「私はあの映画好きじゃ無いけど、好みは人それぞれ違うから面白いよね」とか言いますね。

人と意見が違って当たり前。
むしろ自分と違う価値観を持った人と話すのが面白い。
議論とか楽しいよ。当たり障りの無い会話なんて、つまらない。

| URL | 2005-04-09-Sat 00:01 [EDIT]
●アーバイン君

 韓国は、テレビでも有名だけれど凄まじいお受験世界。
 ソウルにない大学は大学にあらずといったところがあるらしい。ソウル市内のトップレベルの大
学に進学できれば人生も給料も保証されているようなものだが、そうでない場合は、地方の大学を
卒業しても就ける職種が限られているという話を聞いたことがある。

 日本の進学システムは、パイプスライダー方式というそうだ。
 小学校⇒中学校⇒高校⇒と進んでいくうちに、どんどん行く先が区分けされていって、ゆるやか
に人生が決まっていく方式。己の学力や希望に応じて、あみだくじを下りるようにズンズンと進ん
でいく。
 利点もあるが、パイプスライダーなので、逆戻りができないのが欠点。

 アメリカは進学システムがネットワーク状につながっているという印象を受けた。
 ネットワークをたどっていけば、逆戻りもOKという感じかな。


>「私達って知らない間にバカに育てられてたの? 凄く悔しい!」

 ゆとり教育を掲げていた寺●という役人に聞いてみたいもんだね。
 馬鹿を量産したご気分はどうですか、と。

●初心者さん

「むしろ自分と違う価値観を持った人と話すのが面白い」

 と言ってくれる人が増えてくれると、嬉しいね~。
 あるメルマガが伝えるように、フランス人みたいに違う意見を言うのが美徳という風潮も困るけど。
 

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