その名を、ドーム・ゼンという。
　サダハル・アオキの新宿高島屋限定X'masケーキの名前である。当初、そのケーキは予定に入っていなかった。鏡はピエール・マルコリーニを注文するつもりでいたのだ。実際に、注文もした。だが、店員に手続きをしてもらっている間に、美しい若菜色のドームが気になってしまったのだ。そうして、粒餡が大の苦手にもかかわらず、急遽ドーム・ゼンに変更してもらったのである。その時点で、予定数終了まで残り15個であった。
　受け取ったのは、昨日12月23日だった。
　白い紙袋に入っていたのは、無駄のない上品さ漂う、白い箱だった。パリで人気を勝ち取った本物の白さだろうか。
　ケースを開ける前は写真を撮る気満々だったのだが、開けたら前後不覚に陥っていた。斜めからの満足なカットがないのは、ドーム・ゼンの魔力にやられたからである。
　誘われるように包丁を入れ、皿に移してぺろり。
　鏡が食べたのは外側の抹茶ムースからだったが、いわゆる典型的な抹茶を想像していた鏡は見事に裏切られた。
　まるで口溶けと口当たりが違っていた。高級アイスクリームの味わい──それも、少しとけだして絶妙なまろやかさが覆いはじめた頃の、口溶け感だった。
　ベタな抹茶の味はしない。極めて洗練された抹茶の味わいだ。口当たりもソフトで、クリームのようでいて、でも、ムース然しているという素晴らしさである。ムースとは思えないほどだ。
　いっしょに食べていた知り合いが「美味しい！」と叫んだ。
　そうなのか？
　鏡は、実は粒餡が大嫌いである。子供の頃からぜんざいが食べられない。粒餡のまんじゅうも残してしまう。とにかく粒餡が嫌いなのだ。
　不安を拭いきれないまま、真ん中の粒餡の部分へフォークを入れ、恐る恐る口に含んだ。
　──ぺろり！
　またしても、ぺろりだった。口に含んだ瞬間、ズドン！　抹茶ムースと粒餡とのハーモニーがいきなり飛び込んできた。粒餡だけの味わいでもなかった。抹茶ムースだけの味わいでもなかった。最初に抹茶が、つづいて粒餡が……という順番で来たのではなかった。双つが完全に溶け合って生まれたが妙味が、突然口の中に充溢したのだ。ハーモニーの直撃だった。
　血が踊った。ケーキを食べて初めて興奮した。このパティシェ、凄い！　と真剣に思った。因数分解できない味だ。自分の口の中で、どんな変化が起きているのか、どんなミックスが起こってどんなハーモニーが生まれているのか、まるでわからない。わからないけど、美味い。興奮させられてしまう。
　近づいて断面を見ると、豆粒はしっかり残っていた。にもかかわらず、口に含んでも豆粒の感触がまるでしない。いきなりハーモニーがズドン！　なのだ。
　折しも、ドーム・ゼンを口にしたのは『ブラバスター６』を書き上げた日だった。そのような日に、このような奇跡の味わいを体感することができるとは、なんとも幸運なことである。丸の内のお店には、なんとしても行かねばなるまい。
　この人のケーキを食べられて、本当によかった。

　リバプールは敗れ、サンパウロＦＣが栄冠を手にするだろう。
　サッカーの見地から言っているのではない。縁の問題、運の問題から言っているのだ。
　選手や監督でもそうだが、肉親が亡くなった当日や直後というのは、不思議と勝つものである。選手たちもよく口にする。「母が勝たせてくれた」「父が勝たせてくれた」と。まるで亡くなった父や母が選手や監督を勝たせようとするかのように、選手も実力以上の力を発揮し、勝利を手にしてしまう。まるで亡くなった親の加護があるかのようだ。
　オリンピックなどのような数年に一度の記念碑的な大会だと、その年亡くなった場合でもご加護がある。だが、オリンピックの場合、大会が終わるとご加護は消えてしまう。オリンピック以外では、数日経過するとご加護が消えてしまう。
　リバプール監督ベニテスの父が亡くなったのは、準決勝前日だった。決勝当日は、すでに数日が経過していた。もし、準決勝の日に決勝がめぐっていれば、リバプールは３度めの正直を経験していただろう。
　だが、そうではなかった。リバプールに勝利の女神はついていなかった。前半、ルイス・ガルシアのヘディング・シュートがクロスバーに弾かれたのは、まさにその顕れだった。
　リバプールは歓喜を味わえまい。３度目の正直の代わりに、「３度目」を味わって帰るのは、サンパウロＦＣだろう。

　５年以上前の話だ。
　『プリズム・ハート』というゲームを作った時、キザーロフという敵キャラを用意した。名前通り、気障からのネーミングである。剣士を目指す主人公の、剣と恋の最大のライバルという設定だった。
　キザーロフを用意したのは、言うまでもない。ある騎士育成SLGをプレイした時、ライバルキャラがいなくてそれが残念だったからである。ライバルがいればもっと盛り上がるのに……、と思った瞬間、キザーロフは誕生した。ただ、あの口癖は別の理由である。
　『プリズム・ハート』は、西欧中世風ファンタジーである。にもかかわらず、キザーロフは、台詞の後に必ず「反語」をつける。

「このわたしより美しく逞しい男がいようか、いや、いない。反語」

　高校時代に漢文で習う、あの反語「～であろうか、いや、ない」の言い回しを使った上に、ご丁寧に「反語」のフレーズまで付け加えるという変人である。
　我々が目指していたのは、意図的にいい加減なファンタジー世界（なんちゃってファンタジー）ではなく、ある程度きっちりした西欧的ファンタジー世界だった。ファンタジーには、ファンタジーの強度がある。まともな時代劇を見ていて、なぜか主人公がロレックスの腕時計をはめていたり、ヒロインがポケモンをプレイしていたり、なぜか長屋に炊飯器があったりしたら、どうだろう。きっと興醒めしてしまうに違いない。制作者のセンスを疑うだろう。
　同じことが西欧風ファンタジーにも言える。きっちりした西欧的ファンタジーを目指しているのに、平気で腕時計を持ち込んだり、まだ南米との交渉がない段階で安易にじゃがいもを導入したり、波動砲を持ち込んだりするのは、反則技である。たったそれだけで世界観が壊れかねない（たとえユーザーが気づかないとしても同じである。ユーザーが気づかなければＯＫという理屈は、殺菌せずに牛乳を出荷する腐った精神と同じであり、産地偽装となんら変わらない）。
　反語という中国文化圏の言い回しにしても、同じである。反語をシナリオに導入する前、これは明らかにファンタジー的な冒涜であり、反則行為だとわかっていた。わかっていても、敢えてキザーロフに反語を言わせたのは、明確な理由があったからだ。
　映画の世界には、主観ショットと客観ショットというのがある。『一人でもできる映画の撮り方』（西村雄一郎・洋泉社）によれば「主観ショットとは、主人公の眼になりきって、まわりの風景を写しているショット」のことである。「この場合、カメラ・ポジションがアイ・レベル（眼の高さ）であることはいうまでもない」。
　たとえば、ある男が階段を上がって部屋に向かっているとする。その時、男の目の高さ、目の位置から階段を上がっていく様を撮るのが、主観ショットである。別の位置にカメラを置いて、階段を上がっていく男の姿を撮るのが、客観ショットである。
　向き合って怒鳴り合っている男女を例にすれば、男の目線から女を撮ったのが主観ショットであり、怒鳴り合う二人を撮影したのが客観ショットということになる。
　主観ショットの場合、女の顔が直接自分を向くため、女が気に入らないことを口にすると、そのストレスがダイレクトに伝わりやすい。映画ではほとんどは客観ショットで作られているため、そのようなストレスは感じづらいが、エロゲーはほとんど主観ショットである。
　ライバルキャラというのは、主人公に対抗するキャラである。主人公に気に入らないことを言い、主人公を妨害する存在である。そのため、ただ気に入らないだけのキャラとしてライバルキャラを造型してしまうと、プレイしているうちにむかむかしてくるのだ。そのうち、「こいつむかつく！」「こんなゲーム、プレイしたくない」ということになってしまう。
　そうならないようにするため、ライバルキャラからのストレスをある程度軽減するため、敢えてキザーロフに反語という馬鹿をやらせたのだ。ただの安易な思いつきや、「そうすれは面白いから」というだけの理由で反語をしゃべらせたのではない。ただ憎らしいキャラでは腹が立つだけである。かといって、馬鹿すぎるのではライバルキャラになりえない。適度に憎らしく、適度に憎めないライバルキャラにするために、敢えてファンタジー的には反則行為を犯して、反語をしゃべらせたのだ。
　キザーロフの反語は、ただの反語ではない。キャラクターバランスであり、ゲームバランスとしての反語なのである。　

　「ご飯が食べたい」と「ご飯を食べたい」の違いは、何なのだろう。
　普段日本人は無意識のうちに使い分けているが、外国人にとっては不思議なことらしい。
　どう違うの？　と聞かれても、説明できない人がほとんどだろう。使い分けているからといって、理由を説明できるわけではないからだ。説明できなくても、言葉を使い分けることはできる。それが母国語である。
　「～が……したい」と「～を……したい」の違いは、『基礎日本語辞典』（角川書店）によると、こうである。
　「～が……したい」は、「～が」の部分に重点がおかれている。たとえば「水が飲みたい」という場合は、「ファンタグレープでもアクエリアスでもなく、『水が』飲みたいんだ」という意味である。
　一方、「～を……したい」の場合は、「……したい」の部分に重点がおかれている。たとえば「水を飲みたい」という場合は、「水を捨てたいのでもかき混ぜたいのでもなく、『飲みたい』のです」という意味である。
　日常会話を思い出してみればいい。たとえば迷っている友人がいるとしてみよう。

「ボウリングしようかな……ビリヤードもええなあ……サッカーにしようかな……ううん……どうしよう」
「（少し呆れて）で、何がしたいねん？」

　この場合、「で、結局何をしたいわけ？」とは聞かない。
　反対に、次のように友人か迷っていた場合、

「このオッパイを……揉もうかな……吸おうかな……わしづかみにしようかな……揺らそうかな……ううん……」
「（少し呆れて）で、あたしのオッパイをどうしたいわけ？」

　「オッパイがどうしたいわけ？」と聞く女性はいないだろう。
　映画の場面でも、ナイフを喉に当てられた子供を目の前にして、父親はこう叫んだりしていないだろうか？

「息子をどうするつもりだ!?」

　息子がどうするつもりだ!?　とは決して聞いていまい。「が」と「を」の違いは、そういうことなのである。

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