成立以前、それはジュブナイルという名前で呼ばれていた。
　そして今、作り手<発信者>からではなく、読み手<受容者>から生まれた名前で、こう呼ばれている。
　──ライトノベル。
　命名者たちがそれを知ってつけたのかどうかは不明だが、lightには、「<読み物など>肩の凝らない、娯楽的な」(研究社『英和大辞典・第五版』）という意味がある。ponderousの反対語であり、用例として、「a light novel 娯楽小説」が載っている。英語的には、決しておかしな言葉でもないし、むしろ、ズバリと内容を言い当てている、ふさわしい名前に思える。小野不由美『十二国記』のように本格的な、ponderousな感じのものもあるが、一例をもって反論とするのは、あまり上等なやり方ではあるまい。全体的にどうなのか、ということが問題なのだ。そして、全体を見る限り、ライトノベルは、アニメ絵を好む少年少女たちに肩の凝らない読み物を提供しているように思える。
　ライトノベルの誕生は、恐らく、美少女の誕生と深い因果関係がある。美少女とは、少女としての美しさを持ったヒロインではなく、男が望むかわいさを持ったヒロインのことである。「ヒロインがこんなことをしてくれたら」「ヒロインがこんなふうにしゃべってくれたら」という、男が懐く「かわいい」の妄想を二次元の世界に具現化したものが、美少女だ。
　この美少女は、70年代に萌芽し、80年代に一気に広まった。ササキバラ・ゴウは『<美少女>の現代史』でこう述べている。

《こうして1980年頃から本格的な「美少女ムーブメント」が始まります。吾妻ひでお、高橋留美子、宮崎駿の三人は、この最初のムーブメントを代表するスターです》
《吾妻ひでお、高橋留美子、宮崎駿などの作品に代表されるような「美少女」がブームとなったのち、80年代にそのようなイメージはさまざまなところで、一挙に広がり、世の中に商品として定着していきます》

　劇画よりもヒロインのかわいさを売りにした絵柄のコミックを好み、アニメ絵を受容し、熱心に買い求める子たちは、70年代にもいた。だが、80年代になると、二次元萌えっ子の人口は激増し、彼らを相手に充分商売が成り立つようになる。それを美少女マーケットと呼ぶのなら、ひとつの複合的マーケットが誕生したのだ。
　美少女フィギュアが誕生したのは、1981年頃。OVAの誕生は1983年。翌1984年には、美少女アニメが生まれ、そのジャンルを象徴する作品となった『くりいむレモン』シリーズが始まっている。1985年6月には、OVA専門誌『アニメＶ』が隔月刊で創刊（後に月刊化）されている。アニメ誌も、最大7誌を数えるまでに達した。コミックにも、アニメにも、エロマンガにも、美少女アニメにも、フィギュアにも、思春期の少年が戯れるサブカルチャーに美少女化が広がっていった時代が、1980年代だったと言えよう。
　そして、その美少女ムーブメントの中で生まれたのが、ライトノベルだった。
　ライトノベルとは、「まんがやアニメの感覚で」書かれた「キャラクター性の強い小説」のことである。小説といえば、ゲームと違って挿絵なしでも成立する世界だが、ことライトノベルの場合はそうではない。ライトノベルにとっていかにヒロインの絵柄が大切かは、アニメ絵のカバーとイラストによって売り上げが左右されるという状況に示されている。なぜそうなのかといえば、ライトポルノが美少女ムーブメントの申し子だからだ。ササキバラ・ゴウは前掲の著書でこう述べている。

《小説の世界では、ジュニア小説というジャンルが70年代末頃から変化しはじめます。78年に新井素子が本格的に活動を開始した頃から、アニメやまんがの影響を強く受けて書かれた小説が増加し、広い支持を集めます》
《また、79年にはテレビ放映中の「機動戦士ガンダム」が富野由悠季自身の手により小説化され、高千穂遥の『ダーティペア』が人気アニメーターの安彦良和の装画で発売されるなど、まんが・アニメと共通の感覚で書かれたような小説が市場に定着していきます》

　1975年に創刊されたソノラマ文庫から、1988年3月に創刊された角川スニーカー文庫のラインは、見事なまでに美少女ムーブメントの軌道に重なっている。新井素子が、ルパン3世を小説でやりたかったと答えたのは有名な話だ。アニメ・コミックとジュニア小説との交差点に、ライトノベルは生まれている。そして、その交差点は、美少女ムーブメントという大通りに位置しているのだ。

　思い出は、人を苛むためにあるのだろうか？
　今年の７月、彼女と別れた後にその思いを強くした。経験した人間なら容易にわかることだが、別れて数日経つと、ふとした拍子に彼女との思い出、彼女とのワンシーンが記憶の底からふっと浮かび上がってくるのだ。
　この紅茶ポット、彼女といっしょに銀座まで買いに行ったんだなとか、この本棚、彼女が整理を手伝ってくれたんだなとか、二人でこの茶碗を選んで持ちやすいって狂喜してたな、とか。思い出そうとしているわけでもないし、できれば永遠にしまいこんで忘れてしまいたいのに、意図を裏切って記憶がフラッシュバックする。彼女が自分に向けてくれた思いやり、注いでくれた愛情などとともに、急襲するのだ。
　思い出しても、すでに縁は切れたのだ。絆は取り払われてしまったのだ。なのに、なぜ思い出は蘇るのだろう？　何度も浮かび上がって、人を責め立てるのだろう？　肉体は傷つけば必ず修復しようとするけれども、なぜ精神は──思い出は自虐的なことをくり返すのだろう？　人の精神は、わざわざ自分を傷つけるようなことを選ぶのだろうか？
　そう思った時、精神も肉体も同じなのではないかと気づいた。血が出れば止めようとする。皮膚がめくれれば再生しようとする。治ってくると痒くなったりするけれど、たぶん、それと同じだ。人の心も、自らを治そうとしているのだ。失われてしまった絆、空いてしまった空白を埋め合わせようと、脳味噌から思い出を呼び出して補完しよう、修復しようとしているのだ。苦しいのは痒いのと同じである。
　人は壊れてくると、当初は実際の人で自分の空白を補完し、傷を修復しようとする。しかし、人は思い通りにはならない。そうなると、モノに移る。モノでも駄目だと、モノ以外の世界──イメージの世界で補完するしかなくなる。自分のためにアレンジされた妄想で自分を補完するしか手段がなくなってしまう。
　別れた後に自分に襲いかかる思い出も、そうなのだろう。大切な絆は、失われてしまった。それは心にとってはひとつの傷なのだ。しかも、今すぐ現実の人間で補完するわけにも修復するわけにもいかない。だから、心は、せめてイメージレベルだけでもいいから自らを修復しようとするのだ。別れた人との心あたたまるワンシーンを再生することで、傷ついた心を癒し、空白を埋め合わせようとするのだ。フラッシュッバックで蘇るのは、自虐行為ではなく、治癒行為なのである。ただ、補完のため、治癒のために呼び出したイメージ（思い出）が、結果的につらいだけなのだ。
　そう思うと、フラッシュバックが起こってもそれほど苦しくはなくなった。自分を治そうとしてくれているんだな、そう思うと安心することができた。自分の心の奥底や自分の肉体の奥底というのは、意外にも最後まで自分を見捨てないものである。

　パリから始まり、フランス全土に広がった暴動。原因は、移民とフランス人との経済的・社会的差別による不満の鬱積などと言われているが──確かにフランスのエリートには、白人中心主義の側面が強いが──200年前に戻ったような喧騒を見ていて、ひとつのことに思い当たった。
　アントニオ・ネグリとマイケル・ハートは、最新刊『マルチチュード』（ＮＨＫブックス）の中で、「軍事活動と警察活動の一体化」ということを指摘している。
　グローバル化が進み、<帝国>化が進んだ世界では、戦争と警察活動の区別がつかなくなるという。従来の戦争では、敵となるのは国家やある共同体であったが、現在の世界では、敵となるのは麻薬やテロリズムという「抽象的な概念や一連の慣習や実践」である。
　そのような新種の敵を相手にした戦争では、国内外でセキュリティレベルを上げることが必要になるが、その場合、セキュリティを目的とした軍事活動とセキュリティを目的とした警察活動の間には、果たして大きな差はあるのだろうか？　目的がテロリズムの撲滅というセキュリティに関わることだとして、国内の社会秩序を守るための警察と、世界の社会秩序を守るための戦争との間に、明確な差異はあるだろうか？

《合衆国の指導者が「対テロリズム戦争」を宣言したとき、彼らはそれを世界中に拡大し、何十年、あるいは何世代にもわたって無期限につづけなければならないことを強調した。社会秩序を維持するための戦争に、終わりはない。それには継続的で絶え間のない力と暴力の行使が必要なのだ。言いかえれば、こうした戦争に勝つことはできない──というより、日々勝ち続けなければならないのである。こうして今や戦争は、警察活動と潜在的に区別がつかなくなっているのだ》（『マルチチュード』）

　少しずれるが、イラク駐留軍も、現在のメインは治安維持を旨とする警察活動で、軍なのか警察なのかが、機能面では区別がつきにくい。
　さて、そうしたセキュリティという観点で眺めてみると、今回の暴動に対処した警察の姿が、軍と重なって見えてくるのだ。暴動を起こした若者たちとテロリストたちとがつながれば、セキュリティのための警察活動と軍事活動はかなり似通ったものになるに違いない。

《従来は国外にあると考えられた「敵」と、従来は国内にあるとされた「危険な階級」との区別がどんどんつきにくくなっており、両者はともに戦争行為の対象となっている。「危険な階級」については（中略）それが敵と同定されることによって、さまざまな形の社会的異議申し立てや抵抗が犯罪と見なされる傾向が実際に強まっていることを強調しておくにとどめよう。この点では、戦争と警察的取り締まりとの概念的混合が、社会変革を目指すあらゆる力にとっての障害になっている》

　警察化する軍隊。軍化する警察。その重なり合う姿を、フランスの暴動に見たような気がした。

　彼女はどこまで進んでいくのか。彼女はどこへ向かっていくのか。
　Ｌカップアイドル・青木りん。
　デビュー当初から大胆さが噂されていたものの、そのすぐ後に登場した夏目理緒によってフェードアウトしかけたかのように思えていた彼女は、今、革命児としてイメージビデオの世界を走りつづけている。
　グラビアアイドルのイメージビデオとは、ある意味、偽善の産物であった。
　表面上は、「アイドルのかわいさをアピールするんです」とまことしやかに言いながら、その実サービスカットを入れて、男性視聴者を勃起させる。バナナを食べさせてフェラチオを連想させてみたり、縄跳びをさせて胸を弾ませてみたり、マッサージを受けさせて女性マッサージ師にビキニ乳をやさしく愛撫させたり。表では「健全なアイドルの魅力を売る映像です」と宣言しておいて、裏では性的なものを仄めかし、性的なものを連想させるイメージを挟み込んでアイドルの肉体で男性を刺激しようとする、そういう偽善こそが、グラビアアイドルのイメージビデオだった。
　ポルノで言う「じらし」をいかに映像として取り入れるか。グラビアアイドルのかわいさをアピールする映像とともに、いかに肉体による「じらし」の映像を入り混ぜるか。そういう偽善こそが、ある意味、グラビアアイドルのイメージビデオの真髄だった。
　しかし、アダルトビデオとイメージビデオの世界には、明確な隔たりがあった。アダルトビデオは、あくまでも「抜く」ためのもの。イメージビデオは、「眺める」ためのもの。抜くためだけにストレートにセックスの音や映像を詰め込んだものが、アダルトビデオで、ストレートなセックスは見せず、ただフェラチオを連想させるものや性的なニュアンスを仄めかすものを散りばめたものが、イメージビデオだった。ある意味、そのものズバリの映像ではなく、連想や仄めかしこそが、イメージビデオの極意だった。
　だが、青木りん『ＶＩＲＴＵＡＬ　ＳＥＸ』は、一気にその境界を突き破ってしまった。人形の股間から伸びたスティックを乳房で挟んでみせたり、その最後に乳房にミルクを吹きかけられてみたり、あるいは人形に跨がって腰を揺すってみせたり。乳首さえ見せず、喘ぎ声もひとつも洩らしてはいないが、映像の中で彼女がやっていることは、パイズリであり、騎乗位であり、すなわちタイトル通りセックスそのものである（ファンとしては、この体当たりの映像を、勇気と呼ぼう）。
　前作『ＥＩＧＨＴ』で青木りんが見せたのは、通常のグラビアアイドルが演じる「おしとやかさ」に対する訣別だった。通常のアイドルなら腕で生乳を隠してじらすだけで精一杯のところを、ただ乳首にシールだけを張っただけのほとんど生乳に近い乳房を見せつけ、揺らしてみせたのだ。新作のタイトルに引っ掛けて言うなら、彼女は「ＶＩＲＴＵＡＬ　ＮＵＤＥ」を演じてみせたのである。そして今度は、前作のように裸をトレースしてみせるのではなく、セックスそのものをトレースしてしまった。まるでイメージビデオの偽善を嘲笑うかのように、建前上「非ポルノ」という世界から、実質的「ポルノ」の世界に飛び越えてしまったのだ。
　鏡が考えるに、ポルノとポルノでないもの、つまり、ポルノと非ポルノを分け隔てる条件は３つある。
　①フェティシズム性＝性器や性感帯に対して、煽情的な描写や映像があること
　②官能性＝快感の度合いや進展に対して表現がなされていること
　③射精性＝快楽化された射精表現があること
　この「フェティシズム性」「官能性」「射精性」の３つがすべてそろって初めてポルノと言える、と鏡は考えている。２つがそろっていれば、限りなくポルノに近い。販売コード上、ポルノの範疇に入らないだけだ。
　青木りん『ＶＩＲＴＵＡＬ　ＳＥＸ』には、このうち２つがそろっている。極度の乳フェチ映像とパイズリ行為の後にミルクを吹きかけられるという映像を入れることによって、フェティシズム性と射精性の２つはそろっているが、喘ぎ声や感じている様子を排除することで残り１つの官能性を排し、すんでのところでポルノであること、ポルノという販売コードを免れている。しかし、たぶんにポルノ的であることに変わりはない。また、そのことによって『ＶＩＲＴＵＡＬ　ＳＥＸ』の魅力や彼女の価値が減じているわけではない。
　青木りん『バーチャルセックス』は、「声なき挿入なき」セックスである。それはひとつの嘲笑であり、ひとつの到達点である。彼女が自らの肉体をもって示してみせた映像のラインは、以後、他のグラビアアイドルたちによってコピーされるだろう。だが、肝心の彼女自身はどうか。ここまでセックスに近づいた青木りんという映像は、果たしてこれからどこへ行くのか。どこまで進むのか。コスプレ性へ向かうのか、さまざまな性的嗜好や性的プレイの方へ向かうのか。あるいは、思い切ってヌードとなり、日本には少ない「ヌードル」（脱いでるけどアダルトビデオはやらないモデル）になるのか。答えは、彼女自身も知らないに違いない。

　小説は技術だけで書ける。そう、最近のハウツー本は言う。
　小説を書くという行為をめぐる神話性──小説は誰でも書けるものではなく、特別な人、選ばれた人しか書けないのだ、という古くさい特権的な神話──は、ここ数年、ハウツー本の世界で急激に剥ぎ取られつつある。文学批評の世界では、100年も前に作者の絶対性が剥ぎ取られてしまっているが、ようやく、それがハウツーの世界にも下りてきたというところだろう。
　だが、「誰でも」という普遍性を強調するあまり、ハウツー本の書き手たちは重要なことを、意図的に忘れているようだ。
　確かに、小説は鍛練すれば誰でも書けるようにはなる──ただし、それはほんの一冊だけならば、という限定つきだ。鍛練すれば、とりあえず一冊は書くことができるようにはなるだろう。だが、一冊書けたからといって、その後何十冊も書けるようになるかと言えば、そうではないのが小説の世界なのだ。何十冊も書くためには、自分の中にそれだけ執念のようなもの、追いかける対象やエネルギーがなければならない。そして、それは技術とは別物なのである。書くこと、追い求めたいことがなければ、何十冊も書いていくのは難しいのが、小説の世界なのだ。
　一冊書きあげるのは、技術である。しかし、何十冊も、何十年間も小説を書きつづけることは、決して技術ではない。少なくとも、技術だけでは済ませられない。小説を一冊書くということと、何冊も何年間も書きつづけていくということとの間には、埋められない隔たりがあるのだ。そこにはいまだなお、神話性が眠っている。
　誰でも小説は書けるようにはなるのかもしれないが、誰でも何十作も小説を書きつづけられるようにはならないのだ。そして、その「何十冊も」というところに、なお神話性が、作家の作家たる所以が、特殊性が眠っているのである。

　１時間前に『ブラバスター５』著者校終了。
　半時間前に発送完了。
　著者側の作業は終わり、残るは編集さん側の作業です。発売までお楽しみに。

　たぶん、年内に出せるのではないでしょうか。

　バルセロナのブランド街、グラシア通りを歩いていて、初めてモノグラムの似合う女性に遭遇した。上品な濃い紺色のジャケットを羽織ってエルメスらしいスカーフを巻いた金髪のオバサマが、ルイ・ヴィトンのモノグラムのバッグを腕にかけて颯爽と歩いていたのだ。
　びしっと洋装で決めた銀座の女性みたいな出で立ちだった。女性は、育ちのいい顔を真っ直ぐ前に向けて、他の歩行者とは一際違った凜とした空気を漂わせていた。周囲のスペイン人の中で、ただ一人彼女は際立っていた。彼女のまわりだけは、荘厳な気高さのようなものが満ちているように思えた。
　だが、旅行中、そんなしっかりした服、綺麗な服を着たスペイン人には彼女一人しか会わなかった。マドリッド市内で見かけた旅行者やスペイン人、そしてアルハンブラ宮殿を訪れていた欧米の観光客は、皆、あまりにもラフな、決して上等と言えない服装しかしていなかったのだ。女の子の中にはジャージを穿いている子もいた。だいたいがＴシャツで、まるで近所のスーパーに出かけるオバサンのような出で立ちだった。日本の都市で見かけるような綺麗な服やちょっといい鞄を持っているような若い子や、ご婦人はまったく見かけなかった。若さとは、服装のラフさ、質素さだった。あ、いい服を着ているのがいるぞ、と思ったら、100％日本人なのだった。
　ヨーロッパは階級社会である。ジャケットを羽織らずに四つ星や五つ星のホテルにチェックインしようとすると、馬鹿にされる。ポーターだってつかないし、荷物を運んでくれない。チェックインが終わったら「Bye」で終わりである。だが、ジャケットを羽織っていれば荷物を持ってくれるし、相手の愛想もよくなる。
　高級ホテルに宿泊すること、ブランド品に入ること自体があるひとつのコードをまとった行為であり、またあるひとつの上流階級のコードを必要とするのだ。たとえばきちんとした服装をするとか、店員に挨拶をするとか。
　だから、こう言えるかもしれない。ヨーロッパには２つしか階級がない。上流階級と、それ以外と。それがスペインを旅行して抱いた印象である。
　上流階級とは、ホテルにジャケット姿で現れ、ブランド品を身に着けることのできる人たちである。それ以外の人たちは、ブランド店に立ち寄りもしない。銀座でマダム然としていられる人だけが高級ホテルに宿泊し、ブランドショップに入れるのだ。それ以外の大多数は、ブランド品とは無縁の生活をしている。
　60年前の日本もそうだった。買える人たちと買えない人たちの２階級に分かれていた。だが、60年代からの経済繁栄が「買えない人たち」の経済力を押し上げ、今の状況を作り出してしまった。これには、80年代のブランドブームも影響しているだろう。日本人女性は欧米の上流階級へのコンプレックスを、ファッション誌によって刷り込まれているようだ。
　いまや、資産家の娘でない子たちも、ブランドショップに出向き、ブランド品を手に入れる。いい服を着て大学に行き、着飾って街を歩く。旅行するなら、とご婦人方もタンスから見栄えのいい服を引っ張りだす。
　しかし、そうして着飾られた服は、二階級社会のヨーロッパのコードからすれば、明らかにお金持ちのサインなのだ。そうしたこともあって、日本人は狙われるのだろう。勿論、世界一治安のいい国に生まれて警戒心や危機意識が麻痺しているというのもあるのだけれど。
　ただ、バブル崩壊後の社会は、ヨーロッパ的な階級社会へ向かっているように思える。新中間層が弱体化し、下流層に流れ込んでいる現在、社会は二分化に進んでいる。社会の流動化が止まり、階級社会が完全に到来した時、着道楽の国・日本は、ヨーロッパのように旅道楽、バカンスの国になるのだろうか。