話は、１年近く前に遡る。
　小説版『ＭＩＬＫ・ジャンキー３』の原稿を書き上げて、メールで最終稿の送信を済ませたあとだった。作業はそれで終わりだったのだが、どうせなら完成原稿をプリントアウトしてパラダイムさんに持っていこうとプリントを始めてしまったのだ。事故はそこで起こった。５年ほど使っていたインクジェットプリンターが壊れてしまったのだ。
　プリンターヘッドを動かすベルトが半分ぶち切れていてスカスカになり、ヘッドに絡んでいた。人力では動かせぬ状態であった。
　長年酷使した結果だった。
　鏡は、小説の時は勿論、美少女ゲームのシナリオの時にも、書いては原稿をプリントアウトする。『パンドラの夢』でも、『Love Split』でも『ＭＩＬＫ・ジャンキー』でも、シナリオをプリントアウトしてペーパーベースで読み直して修正を入れる。なので、Ａ４枚にして年間4000枚ぐらいは印刷するのだ。
　あとで聞いてみると、そういう使用には家庭向けインクジェットプリンターは向いていないということだった。そんなにぼかすか印刷するのなら、レーザープリンターの方がいい。
　かくしてＨＰのプリンタラボにまでお邪魔してさんざん迷惑をかけまくった末に決めたのが、これだった。
【全国送料300円】HP Color LaserJet 3500 Q1319A#ABJ

　当時、ＨＰのサイトで期間限定セールスをやっていて、６万円ちょっとで手に入れたのだけれど、今は３万ちょっとで手に入れるらしい。なんてこったい、およよ。
　１年近く使っているけれども、使い勝手はいい。35キロオーバーのウェイトがあるので、一人で運ぶ時にぎっくり腰になりそうになるけれど、運搬時以外に不満はない。写真をカラープリントしても、物足りないということはない。むしろ、速くて、なおかつ乾いているので気持ちいい。何よりも、文字原稿を印刷した時のスピードがたまらない。『ブラバスター』の原稿も、ちょっとトイレに行ってふんばって帰って来たらほぼ終わっている感じである。インクジェットと違って、文字も滲まないので美しい。なぜかレーザープリンターにしてからカラー印刷も増えた。乳画像をプリントアウトしてはにやにやしている。けれども、それが『ブラバスター』の元になるのだ。

　辞典第２弾。
　今回は、言語系以外で鏡がいいなと思っているものを。
　まず、キャラクターの名前を考える時には、これをよく使う。
必ず見つかる赤ちゃんの名前事典

　持っているのは1997年のものだが、１つだけ疑問がある。いじめられる名前をつけてはいかんと言っているのに、男の子の名前の候補として「亜武（あぶ）」が載っているのだ。真っ先にいじめられると思うのだが……。
　細かい突っ込みはよしとして、物語を書いている時に凄く助けになるのが、これ。
アレ何？大事典

　小説は、言葉ですべてを書く世界。ああ、これ何だっけ？　と言う時に凄く助けられる。
　それから、これも凄く助けになる。
数え方の辞典

　数え方は、普通に調べようとするとなかなかわからない。これ一冊で安心できる。
　ネーミングについては色々辞典が出ているが、一番気に入っていたのは、これ。最新ヒット商品をつくるネーミング辞典第2版

　よく引いてよろこんでいた。今は新版が出ているらしい。
ヒット商品をつくるネーミング辞典（part 2）新版

　他に、こんなのもある。
13か国語でわかる新・ネーミング辞典

　さらにこんなものも。
最新ネーミングのための8か国語辞典

　旧版は欲しい単語に限ってなかったりしたが、新版はどうか。
　さて。
　逆にほとんど使っていないのが、これ。
服装大百科事典（上・下セット）増補版

　とにかく、分厚い、重い、高い。小説版『プリズム・ハート』を執筆時に、中世の服装関係が知りたくて買ったのだけれど、それ以来ほとんど使っていない。現代には弱いようだが、持っていると面白い。
　それから、これもあまり引かない。
岩波哲学・思想事典

　哲学書を読むということをせずに、この事典を読むことで哲学を理解しようとしても無駄である。贅言尽くして一言も言わずという状況にぶち当たることになる。だが、哲学書を読んでいて、独特の専門用語──「内在」「超越論的」他者性」という言葉に躓いた時に助けになってくれる。
　ただ、最新フランス哲学だと弱いので、その場合にはこれを使う。
ポストモダン事典

　間テクスト性とか、説明がわかりやすかった。でも、こんなものを持っている人はかなり少ないのではないかと思う。

　鏡は辞典馬鹿である。
　木造の小学校に通っていた4年生の時のことだ。それぞれの自宅から持ってきた辞典を、クラスの子たちがふざけて鏡の机の上に次々と積んでいったことがある。10冊近くに到達したその高さは、もはや塔。椅子にすわってその辞典のタワーを見上げながら、今まで味わったことのない高揚と恍惚を感じていたことを覚えている。広辞苑を手にしたのは、高校１年の時だった。
　そういうわけで、辞典を見ると無性に買いたくなってしまう。よく、ハードディスクに格納した電子辞書だけ使うという人がいるようだけれども、鏡は両方使っている。
　ペーパーベースで一番よく使うのが、これ。
同音同訓異字辞典

　小説やシナリオを書いていて、一番気になるのは同音同訓である。隙間が「開く」なのか「空く」なのか。わかっているつもりで勘違いしていたり、本当にわからなかったり。特に同訓異字が気になることが多い。そういう時にこの本が助けになる。
　次によく使うのが、これ。
逆引き頭引き日本語辞典

　かなり特化した辞典だ。実は、言葉の意味は記されていない。しかし、「子供」という名詞を目的語にできる動詞はどれか、「責める」の目的語にとれる名詞はどれか、そういった名詞と動詞のコロケーションが掲載されている。用例も17万文例と豊富。個人的に最も優れた辞典だと思っている。
　たまに凝った熟語を調べたくなって使うのが、これ。
字通

　熟語に焦点が絞ってあっていい。ただ、でかい。重い。
　俗語なら、今のところこれが一番いい。
日本俗語大辞典

　編者の米川明彦氏が手話講座に出ていて驚いた。使う頻度は少ないが、いい辞典。
　類語辞典は、10年以上前から出るものほとんど片っ端から購入したが、ほとんど使い物にならなかった。いいと思えるのはこれぐらい。
日本語大シソーラス

　言葉の意味は書いていないので上級者向けだが、収録数が多い。単純な言い換えは創作には向かない。圧倒的な物量が結局一番ということに落ち着いた。
　旅行に出かける時は、これを持っていく。
デイリーコンサイス国語辞典第4版

　ほとんど新書と変わらないサイズなので、荷物にならなくていい。
　外で原稿を読み直したり仕事したりする時には、これを鞄に入れていく時もある。
必携季語秀句用字用例辞典

　このボリュームにしてはそこそこ用例が載っているので、簡単に用例を確かめたい時にいい。
　パソコンにインストールしている辞典としては、こんなのがある。
Super日本語大辞典 全JIS漢字版

　逆引き検索ができるのが便利。
　英和辞典＆和英辞典は有名な電子辞書を使っている。
英辞郎 第二版

　これのおかげで、ほとんど英和辞典は使わなくなった。英和辞典も和英辞典も、これ１つでカバーできる。
　それでも、用例を確認したい時は、英文科時代に買わされたこれに頼ってしまう。
研究社新英和大辞典第6版

　鏡が持っているのは第５版。英文科時代の主任教官曰く、辞書は「引くんです、読むんです、勝手に想像しないんです」だそうな。用例にないものをひねり出してはいかんそうである。
　めったに使わないけど、たまに心強いのがこれ。
基礎日本語辞典

　文章を書いている時にはあまり引くことはないけれど、普段は決して気にしない微妙なニュアンスが気になった時に最高の威力を発揮する。たとえば、「～を食べたい」と「～が食べたい」の違いを知りたい時に、『日本語文型辞典』も説明していないことを、解説してくれる。
　最後の極めつけがこれ。
　キング・オブ・国語辞典。通称、ニッコク。

　壮観。
　すべての国語辞典の頂点＆最終地点に位置する全13巻の日本最大の辞典。イギリスのＯＥＤ（Oxford English Dictionary）と同じく、学校に持っていくことができない。とても13冊そろえられない人のために、精選版も出ている。
　　
　第２版を持っているのに、精選版を買いそうになった。
　諸橋の漢和大辞典は、中国史学科卒の女の子にとって嫁入り道具なんだそうだが、これは何と言えばいいのか。辞典としての重みも完成度も申し分ない。唯一不満があるとすれば、爆乳が網羅されていないことだけ。煩悩は強い。

　テリー・イーグルトンと聞いて即わかる人は、ほとんどいまい。かつてはマルクス主義文学批評の先鋭だったと聞いても、ピンと来る人もいまい。鏡にとっては、挫折の人である。実は、馬鹿な思い出があるのだ。
　現役のエリート受験生だった頃の話だ。何を血迷ったか、文学部志望だったのに法学部志望に切り換えてしまった鏡は、来（きた）るべき論述試験に備えて政治学関係の本を買うことにした。それで選んだのが、『批評の政治学』であった。
　あまりにうぶであった。
　あまりに愚かであった。
　それは政治学の本ではなかったのだ。文学批評の本だったのだ。批評がタイトルに冠されているという時点でそう気づくべきだったのだが、あまりに鏡は青かった。それはもうガガーリンが初めて見た地球より青かった。ルイ・アルチュセールの名前も知らなかったし、文学批評の世界も知らなかった（論述試験に出されたのはカール・シュミットで、テリー・イーグルトンは勿論出題されなかった）。
　ほとんどの人は、この皮肉の利いた世界的な文化批評家の名前を知らない。文学を專攻していたって知らない学生も多いだろう。だが、『文学部唯野教授』の名前なら覚えている人もいよう。10年以上前に話題になり、売れまくったベストセラー。この種本と言われた『文学とは何か新版』を書いたのが、テリー・イーグルトンなのだ。
　
　さて、本書である。
　この一冊を読んで真っ先にわかることは、いかに「文化」の定義が、爆笑を誘うほどいい加減なものかということだ。

《文化人類学の定義によれば、文化はヘアスタイルや飲酒の習慣から、夫の二番目のいとこをどう呼ぶかにいたる、すべてを網羅することになる。いっぽうその美学的定義によれば、文化はイゴール・ストラヴィンスキーを含むが、サイエンス・フィクションは含まない》

《マーガレット・アーチャーの所見によれば、文化概念は「社会学における鍵概念のなかで、分析道具としてはもっとも貧弱な発達しかとげず、社会学理論においてはもっとも大きなゆらぎをもつ役割を果たしてきた」》

　文化の定義は、どこにレンズの倍率を合わせるかによって、無節操に姿を変える。まるで卑屈な変節漢のようだ。
　だが、テリー・イーグルトンは、その無節操ぶりを描き出して嘲笑したいわけではない。文化の定義をめぐる状況を、皮肉なタッチで描き出し、本来あるべき姿に揺り戻したいだけなのだ。だからこそ、たとえば高級文化（芸術文化）と低俗文化（大衆文化）の境界が混ざり合っていることも見逃すことができない。

《昨今、高級文化は、伝統的なブルジョワ芸術に限定することはできなくなり、もっと多様な市場反応型の分野をも含むようになった。「高級」といっても、非商業的なものだけを意味することはもうなくなったし、「大衆的」といっても、必ずしも非ラディカルなものだけを意味するわけではない。「高級」と「低俗」の境界は、なし崩しになっている》

　文化、文化と人は言う。何かにつけ、文化と口にする。少し知識を覚えると、文化を盾にして議論する。しかし、口にする本人すら、文化とは何かを理解していないことが多い。
　本書は少し真面目に文化を口にしたい人のための絶好の書である。少なくとも、文化の定義が分裂しており、階層によって様々なグループ群が散在する状態であることを知っているのと知らないのとでは、軽薄さに差が出るだろう。テリー・イーグルトンの本の中では比較的読みやすい一冊なので、少し背伸びをしたい人にお薦めしたい。
　なお、テリー・イーグルトンは、『表象のアイルランド』という分厚い本も書いている。さらに背伸びをして墜落したい人は、是非。