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社会とつながるコンセント
 いささか乱暴ではあるが、コミュニケーションレベルでばっさり切ると、我々オタクたちは2つに分かれる。
 1つは、オタク以外の人たちと普通にコミュニケーションして溶け込める「社会的オタク」。
 もう1つは、オタク集団にしか溶け込めずそれ以外の人に対してコミュニケーションするのが不得手な「共同体的オタク」である。
 鏡が言うオタクの基準は、アニメやコミックやゲームといったフィクションから引用を行うか否かである。たとえば『機動戦士ガンダム』の有名な台詞を会話に引用する者はオタクということになる。オタクでない子は、いくらアニメが好きといっても、アニメの台詞を引用しない。
 社会的オタクは、社会に対してしっかり接続用のコンセントを持っている。異質な人々、年齢差のある人々、異性と接続するためのコンセントを備えている。
 しかし、共同体的オタクは社会に対して接続用のコンセントを持っていない(世間が「オタクは閉鎖的で……」というのは、共同体的オタクを指してのことだろう)。
 自分と趣味を同じくする同質的な空間を〈私〉というなら、それ以外の空間は〈公〉である。社会的オタクは〈公〉の人たちに対しても個人単位でコミュニケートできるが、共同体的オタクは、〈公〉の人とコミュニケートするのが苦手である。
 では、両者の差はどこにあるのか。
 社会的オタクと共同体的オタクの差は、ディープさではない。つまり、アニメやゲーム、コミック、ライトノベルに対してどれくらい没入しているかということではない。
 2つの差は、 思い切り大雑把に言うならオタク集団以外の人々とのコミュニケーション量である。
 アニメやコミック、ゲームなどといったフィクションに過剰に耽溺するとコミュニケーション能力が低下するのは、蓋然的なことである。コミュニケーションは、対人面での経験によって培われる能力である。いかに自分とは異質の人たちとコミュニケートするか。年齢的に違う人と接触するか、自分とは趣味の違う人と触れるか。それによってコミュニケーション能力は鍛えられる。同質的な空間、闘争のない空間では鍛えられない。しかし、フィクションに耽溺することによってその経験量が減少すれば、自ずとコミュニケーション能力の発達が遅れてしまう。
 共同体的オタクとは、言ってみれば社会とコミュニケートするためのコンセントを持たない存在である。いくらアニメやマンガやライトノベルを吸収しても、社会との接続の仕方、他者(自分とは趣味的にも年齢的にも異種な人たち)との接続の仕方はわからない。自分と異質な人々とどう対面してきたかという経験によってしか、人は社会的になれないのだ。
 中高生の間、コミュニケーション能力が低いのはかまわないと思う。彼らは社会にいないからだ。学校という狭い共同体的空間に囲われている。
 しかし、いざ学校を卒業して社会に入るとなると、違う。会社には年齢の違う人もいる。趣味の違う人もいる。別の人種だらけである。つまり、異質性の塊である。そういう人と仕事しようとすると、コミュニケーション能力がないと難しい。しかも、いろんな部署との連絡もある。他社とのやりとりもある。コミュニケーションなくしてビジネスは成立しない。それは営業だろうと企画だろうと工場勤務だろうと変わらない。
 オタクの長所は、純粋なところである。純潔と言いたくなるほど素朴な純粋さが残っている。「エッチしちゃダメよ」と言われると、律儀に守り通すようなピュアな部分がオタクにはある。
 しかし、ビジネスでは、いかにしっかり伝えるか、どう伝えるか、いかにすぐ連絡をとるかが大切である。お金がかかっている以上、コミュニケーションがうまく行わなければ損害が生じ、ビジネスが立ち行かなくなる。狭い共同体に所属していたときは空気のように振る舞うこともできたかもしれないが、いざ担当をもって自分が責任者として仕事に当たらなくてはならなくなると、自分が個人として一人一人と連絡をとり、コミュニケーションしなければならない。
 そういうときのための準備は、先輩後輩という年齢差(異質性)がある空間ならできるだろう。しかし、ほぼ同年齢で同じ趣味でだいたい知的レベルも同じで同じことを知っているという同質性しかない空間では、社会的コミュニケーション能力は養われない。
 社会と接続するためのコンセント。
 異質な人とコミュニケートするためのコンセント。
 それは、生来のものではない。誰もが後天的に身に着けるものである。異質性とのコミュニケーションを経験すれば、社会的コミュニケーションは鍛えられる。社会的オタクはそういう人たちである。フィクションに興じていても、社会性を持つことはできる。同質性ばかり保とうとすると、社会的コミュニケーション能力は育たない。
 社会的オタクと共同体的オタクとの間に、優劣の関係はない。どちらが優れているとか、どちらが劣っているとかいう関係はない(どちらとも鏡にとっては大切なファンである)。そもそも、オタクとしての優劣とは、何だろうか? 知識? はまり具合? オタクに優劣など存在するのだろうか? 
 存在するのは、人として生きる限り、社会的コミュニケーション能力は必要であるという現実である。
 ニートも60までは続けられない。
 オタクがオタクとして人生を全うするためにも、社会的コミュニケーション能力は必要なのだ。一切酸素を消費せずに生きられる人間が存在しないように、一切金銭を使わずに生きられるオタクはいないのだから。
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COMMENT

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人に対する不信感
初心者 | URL | 2005-08-27-Sat 21:02 [EDIT]
 引きこもり、他者とのコミュニケーションがうまく取れない理由は、人に対する不信感もあると思います。
 自分は人に受け入れてもらえないという予感。
 勿論、こちらが壁を作っているから、相手と打ち解けられないのかも、しれませんが。

 >一切金銭を使わずに生きられるオタクはいないのだから。

 だから私は死のうかと思いました。お金を稼ぐ事が出来ないから。
 餓死か自殺か、考えただけで、気が変になりそうでした。

 では、この辺で失礼します。
コミュニケーション能力はどこで身につけるべきなのか
関雅弘 | URL | 2005-08-28-Sun 06:38 [EDIT]
コミュニケーション能力の有無は、オタクに限らず、若い人全体に言える問題だと思います。
不思議に思うのは、人間は、どのタイミングでコミュニケーション能力を身につけるのだろう、ということです。学校とかではそういう教科はありませんし。
おそらくは、学校などで他人と触れあっているうちに、何となく、コミュニケーション能力の必要性を感じ、暗中模索していくのでしょうが、最近のオタク文化や、ケータイ文化の中では、そういったきっかけを見いだすタイミングが減ってきてしまい、そしてその能力を身につけないままに、社会に出てしまい、苦労する、もしくは社会に出ても気付かない、ということになってしまうのでは。
自分も、そのような感じでこれまで過ごしていて、未だにその能力を暗中模索している状態なのです。

鏡仙人 | URL | 2005-08-28-Sun 10:04 [EDIT]
●初心者さん
まず1つ。
自殺したいときというのは、実は生きたくて仕方がないときである。生きたくて仕方がないのにままならないから自殺しようという考えに傾いていくのである。
人は簡単に死ねるものではない。自殺しようと飛び下りても簡単には死ねず、逆に身体は生きようとしているということが多々ある。そのことをお忘れなく。

それから。
「自分は受け入れてもらえないのではないか」という不安は、確証のない不安である。実際にそれを確かめただろうか? 
万人に受け入れてもらえるような人は存在しない。「受け入れてもらえない」という感覚は、誰しも持っているものであり、また誰もが経験しているものである。
原因を自分の外に求める限り、解決は永遠に得られない。

したがって、

>勿論、こちらが壁を作っているから、相手と打ち解けられないのかも、しれませんが。

これはその通りである。正しい分析だ。


●関雅弘さん
これがね、今の高校生は社会的コミュニケーション能力が高いそうだ。少なくとも、本人たちはそう認識しているという報告が、広告会社の調査であがっている。
社会的コミュニケーション能力は、部活動や仲間うちでのトラブル、恋愛などで養われる。
そこには異質性が存在するからだ。

EsLoad | URL | 2005-08-28-Sun 19:06 [EDIT]
>アニメやコミックやゲームといったフィクションから引用を行うか否かである。
自分はオタクではないと判明(笑)

それは置いといて、相手との趣味が合わないと中々コミュニケーションがとりづらい場合もありますね。
オタク・非オタクに限らず、切替しの上手い人は「そういう話ですか~。ちょっと似た話で~」と聞き上手・話し上手を兼任する人もいます。
場の雰囲気では自分はどちらか一方に偏るのが何とも。

こぼれ話になりますが、
自分の感覚では、テーブルトークRPGユーザに「共同体的オタク」が多いように見受けられます。
意外にエロゲーユーザはちゃんとしてるのかな? 自分と会わないだけかもしれませんけどね……。
最近の若い者は……
関雅弘 | URL | 2005-08-29-Mon 06:30 [EDIT]
今の高校生は社会的コミュニケーション能力が高いそうなのですか。宮台真司の島宇宙論なんて話を耳にしていたので、ケータイ文化やIT文化の中で、同種の人たちばかりでたむろっているものと思っていました。部活や仲間内のトラブルなんてのは昔に比べれば減っているでしょうから、原動力は恋愛でしょうか。
どうも自分は、そっちの方面には疎いもので。
現役ですが……
Nagi | URL | 2005-08-30-Tue 08:58 [EDIT]
実は私は現役の高校2年生だったりするのですが、「本人」からみて、まわりのコミュニケーション能力は高いように思われます。

ただし、それは先に鏡さんが挙げられた「活動や仲間うちでのトラブル、恋愛」に限られることかもしれません。
自分の意思を伝えることや、他愛のない会話はできても、そこから先がないのです。

ディベート的な要素を含んだ、自分の意見を真っ向から相手にぶつけて行こう、という意志が無いのです。
意志があっても、「相手に拒まれたら~」という危惧が先立っているのです。
こういう部分が、ネットの掲示板やケータイのメールなどで密かに昇華されているのが怖いように思いますね。
直接の会話ではなく、閉鎖されているのですから。
AさんとBさんに何かがあっても、Cさんはそれに気づけない。これが、本当に怖いように思います。

内容が無いのに、あるように思う。
このかん違いに、中高生は気づいていないのなら、社会に出たときに躓くのも頷けるのではないでしょうか。
「俺はコミュニケーションに自身がある」と思っていても、中身が伴わない……と。
まあ、第一歩であることに変わりは無いと思うのですが。

あくまで、田舎のいち高校生の話ですので、全体を把握するのにはまったく参考になりませんが

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