官能小説用語表現辞典
　
官能小説用語表現辞典
　始めに言っておこう。
　官能小説用語表現辞典一冊があれば、ポルノ小説が書けるわけではない。
　ポルノ小説を読むと、官能表現の百貨店という印象を持つかもしれないけれど、ポルノ小説そのものはエッチな表現集でもエッチな語彙集でもない。エロい言葉や表現を集めればそれだけで自動的にポルノが成立するわけではないのだ。発情という装置は、単純だが簡単ではないのである。
　だから、官能小説用語表現辞典の帯にあるように「これ一冊であなたも官能小説家になれる」わけではない。そして、そのことは何よりも著者自身が気づいている。

《用語に多様性があれば、かならずしもいい作品が書けるというわけではありませんが、せめて、常に用語の吸収に敏感であることは、言語感覚を磨いていくうえで重要なことです。そんな一助にもなればというのが、この辞典をまとめた目的でもあります》

　用語の多様性というのは、ある性的部位に対していくつも表現を持っていることである。ペニスを十種類の表現で書いたからといって、そのポルノ小説が格別抜けるものに仕上がるわけではない。ポルノ小説は、表現の博覧会や展覧会に単純に還元できるものではないからである。
　しかし、それはひとつの力、ひとつの知的資産なのだ。少なくとも、新しい官能表現を身に着けようと前進する姿は、ポルノ小説のひとつの重要な要素なのだ。己の官能表現に対してバージョンアップがないところからは、至極のポルノは生まれないのである。
　官能小説用語表現辞典は、ポルノ小説に必要な言語感覚を磨くためのコレクションだ。そして、何よりもポルノ小説への深い理解と温かい眼差しの痕跡である。収録された2300の官能表現は、著者だからこそできた愛情の所産なのだ。
　著者は、あとがきでこう述べている。

《文学系の小説誌のある編集者が、官能小説の作家は安易だ、と私に言ったことがあります。まったくの誤解であることを指摘して、私は反論しました。彼はそれほど官能小説を読んでいるのではなく、また、好きでもないのです》
《私はその編集者に、読者をナメてはいけません、と言いました。読者がお金を払って本を買うには、それなりにきびしい注文があって、代金に見合った要求があるのは当然です。作家が安易に書いていては、とてもその要求に応じることはできないはずです。まさに骨身を削るようにして、精一杯の能力とエネルギーを作品に注入していると思います。それは、ほかのジャンルの作家や作品と違いはありません。そうした彫心鏤骨の努力の歳月から生まれたのが、官能小説の表現であり、言語感覚なのです》

　
　名演説だと思う。
　官能小説家にとっては、涙が出てくるような文章だ。このあとがきだけでも、本書には充分の価値がある。
　だが、勿論、官能小説用語表現辞典の価値はあとがきだけではない。2300の表現に対して、え～っ？　と思ったり、なるほどと感心したりしながら頁をめくっているうちに思わず官能表現の海を楽しんでいるに違いない。用例の豊富さが、興味のない者をも楽しませてくれるのだ。ポルノ小説に対して最も愛情深い理解を示している著者ならではの言語表現コレクションに、是非酔い痴れていただきたい。
　ちなみに鏡は２冊とも持っている。文庫版の方には、迫力表現の代わりに絶頂表現が追加収録されている。