哲学を知らない人でも一度は聞いたことのあるフレーズ、哲学の世界で最も有名なフレーズというのがある。

「我思うゆえに我あり」

　ラテン語で言うと、コギト・エルゴ・スム。
　この短い、しかし世界で最も知名度の高いフレーズは、寺沢武一の主著『コブラ』の中でもクライマックスの鍵として使われている。
　近代的自我の誕生を意味した記念碑的なフレーズだが、この「コギト」、すなわち「我思う」の部分をめぐっては、デカルト以降の哲学者たちが思弁をめぐらしている。現象学の創始者、エドムント・フッサールもその一人だ。
デカルト的省察

　眠れなくて、ちょうど寝室で『デカルト的省察』を読んでいる時だった。豊富な注の中に、こんな一文を見つけたのだ。

「思惟するものとは何であるか。つまり、疑い、知解し、肯定し、否定し、欲し、欲せず、また想像もし、そして感覚し、するものである」（『省察』第二省察）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（浜渦辰二訳『デカルト的省察』291頁）

　ここで引用元になっている『省察』というのは、デカルトの主著『第一哲学についての省察』（通称、『省察』）のことだ。　
省察

　『デカルト的省察』の中の注は、思うこと、すなわちコギトについてつけられていた。コギト、すなわち思惟することの内容は、こうであるという注釈である。
　それを見た時に、はっとした。
　思惟すること、思うこと、すなわちコギトというのは、単純に思考することではなかったのだ。否定する、肯定する。疑う、知解する。そこまでは「思う」ということに含められるかもしれない。しかし、欲する、欲しないはどうか。感覚するはどうか。それも「思う」、「思惟する」なのか。
　コギト・エルゴ・スムといえば我思うゆえに我ありと訳されているけれども、思うというのは違うのではないか。つまり、デカルトが思い描いていた範囲よりもあまりにも狭く、あまりに乱暴的ではないのか。少なくとも、想像することは、思うことではない。感覚することも、思うことではない。筋肉を動かすといった運動系やものを見る、聞くといったことでもない、非運動系の脳活動ではないか。
　コギト・エルゴ・スムは、我脳活動するゆえに我あり、我頭を使うゆえに我ありではないのか。少なくとも、コギトを「思う」という一語に閉じ込めてしまうのは、あまりにも粗雑すぎる。そんなことを素人ながらに思うのである。