黒と青（上）
　
黒と青（下）
　なぜ人は物語を読むのか。
　ちょうど、イアン・ランキンの『黒と青』という本を読んでいる時だった。我々の時代は、科学技術の進歩と啓蒙主義に支えられていた「大きな物語」がなくなった時代だと言われている。そうして、個々の、微小な物語を紡ぐことしかできない時代、否、物語を紡ぐことすら困難な時代だと言われている。
　だが、大きな「物語」という言い方がよくわからなかった。なぜ、物語と云うのか。そして、なぜ人は物語を読むのか。ずっとわからずにいたその答えが、不意に飛び込んできたのだ。
　たとえば、かわいい子に出会う。すべての人ではないが、夢見がちな子たちは、「この子とこんな出会いがあって、また会うようになって、デートして、好きよと言われて、セックスし……」という夢を夢想する。その夢は、まさに始まりがあって、山場があって谷があってという物語そのものなのだ。夢見るとは、物語を思い描くことなのである。
　そして、人は、未来へ向って前進する物語、ハッピーエンディングを期待させる物語に支えられている時に、幸せと充実を感じる。自分の存在と拡充感を感じ、瞳を輝かせることができる。
　典型的なのは、恋愛だ。異性との関係が交際という未来や、ＳＥＸという性的なゴールが期待される状況である時――つまり、デートや電話やメールを重ねるたびにお互いの距離感が近づく実感がある時――、人は、確かな未来の鼓動を感じ、自分がハッピーエンドに向う物語の中を生きていることを知って、躍動するのである。
　だが、恋愛の物語は２～３年で、結婚の物語は６～７年で集結する。だから、恋愛している者は３年目に、結婚している者は７年目に浮気するのかもしれない。それでも、今、多くの人が一番味わうことができる物語は、恋愛なのだ。
　日本が高度成長期にあった頃は、この先暮らしはよくなってゆくだろう、マイホームも手に入れられるだろうという物語を、社会がつくりだしてくれていた。人々は社会がつくりだしてくれた大きな物語の中を生きているという実感を味わうことができた。
　だが、今はそうではない。社会は大きな物語を生み出す力を失っている。夢＝物語が自分に近づいていること、前途ある物語を生きていると感じられる人は少ない。成功への物語を生きられる人はごく一部の富裕層であり、なおかつ階層は固定化の方向へ向っている。大部分は物語を夢見ることすら許されない状況にある。
　だから、人はますます物語を求めるのだ。面白いと言われる物語を、確実に充実感を感じられる物語を求めるのだ。出版点数が年々増加しているということも関係しているのだけれど、ベストセラーと言われるものが猛烈な一人勝ちを収めるのは、そういうこともあるのだろう。そして、美少女ゲーム業界でも、ある特定のソフトにセールスが集中するのも――。