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席順のイラスト図解は妥当か?
 6月のこと。あるラノベで行われた席順のイラスト図解について、ある二十歳の子がツイートした。色々と議論になったようである。

 全部ではないが、一部を抜粋すると、

ラノベのレベルが日に日に下がっていくの、耐えられないんだけど pic.twitter.com/431q4yOkuN

はがないの「こんな感じだ」っていう小説中の低レベルな図、
普通に「全員は長テーブルを囲んで、時計回りに〇〇、〇〇、〇〇の順番で席についた」って書けばいいんじゃないの?
そんなんも書けねえのかよ。なにがこんな感じだ、だよ。それを言葉で説明するのが作家の仕事なのに。

推理小説では複雑な間取りだけど、これは文章でも書ける図だし、前の「こんな感じだ」っていって矢印書いてるのもちょっとレベルひくいなって思ってしまった。

推理小説ならそういう図が書かれてても違和感がないけどただ席を囲んで座ったってだけの話をなぜ絵にするのか理解できなかっただけです


 彼はイラスト図解の妥当性についてツイートしたわけではなく、イラスト図解に対してラノベの文章力の低下の象徴を見たのだが、彼のツイートをきっかけにして、イラスト図解がラノベにとってどういう位置づけなのか、そしてイラスト図解が妥当なのか、ぼくなりに答えを出してみようと思う。

 その前に、彼のツイートの根幹について把握しておきたい。
 まず前提として捉えておきたいのは、

 彼のツイートは、小説(すなわち、ラノベ以外の活字の物語)を年100冊読んでいる人間から見た印象

 だということである。つまり、小説との比較で語られているということだ。

 次に捉えておきたいのは、彼が考えている文章力の内容である。

・文章力=「説明力や表現力」
・最低限の文章力=「絵にしなくてもわかることをちゃんと文章で説明=表現できる力」


 これが、彼が考えている文章力のようだ。
 そして彼自身は、

・小説には、最低限の文章力がある。
・だが、ラノベにはその最低限の文章力がない。そして、その最低限の文章力の欠損を挿絵で補完している


と考えているようだ。
 これを踏まえて、彼のツイートから見える考えや反応を整理すると、こうなる。

・小説は、最低限の文章力がある。
・だが、ラノベは、その最低限の文章力がない。そして、その最低限の文章力の欠如を挿絵で補完している
・元々、ラノベ全般の文章が低下していると自分は感じていた
・席順のイラスト図解を見て、ラノベ全般の文章がさらに低下したこと、ラノベには最低限の文章力すらないことをさらに痛感、大いにがっくりした


 ラノベ全体の文章力が低下しているという彼の実感については、ぼくは明確に比較をしているわけではないので、わからない。わからないので、否定も肯定もしない。

 彼は、ラノベの文章力低下の象徴を席順のイラスト図解に見ているようだが、彼が「席順のイラスト図解を見て、ラノベの文章力、もっと落ちた」と感じたことについては、個人が感じた印象なので否定も肯定もしない。

 その上での、ぼくの見解である。

 まず、イラスト図解そのものについて

・日本語は、アルファベット言語と比べると、ピクチャーに見える、すなわちヴィジュアル的である
・ラノベはアニメ・まんが的な要素を持っている


上記2つにより、

 ラノベにはヴィジュアル的な助けを借りた表現が宿命的に生まれる

ということが言える。

「こんな感じ」と書いて席順のイラスト図解を行うのは、「ヴィジュアル的な助けを借りた表現」であり、まさにラノベ的表現である。

 脱線するが、18世紀半ばの小説『トリストラム・シャンディ』において、著者ローレンス・スターンは「今までの自分の物語の叙述はこんな感じだった」といって、曲線と直線を組み合わせて話の進め方の図解(紆余曲折ぶりの図解)を行っている。恐らく、世界初の、小説内の図解である。


 ただし、『トリストラム・シャンディ』の図解は、語るというメタレベルを敢えて物語上で表出させた行為、すなわちメタレベルの顕示としての位置づけを持っている。そういう点では現代文学の嚆矢という意味合いであり、ラノベ的表現の先駆というものではない。

 脱線から戻る。
 次に、イラスト図解という行為の妥当性について

 席順のイラスト図解を行ったことが妥当かどうかについては、彼は妥当ではないと感じているようだ。しかし、ぼくは逆の考えである。

 席順のイラスト図解の通りに11人が座っている状況を、彼が提案するものに近い形で説明してみよう。

「長机に11人が座った。手前の短辺、つまり下座にはおれとAが、奥の短辺、つまり上座にはBが、そして手前の長辺には上座へ向かってC、D、E、Fが、向かいの長辺には上座に向かってG、H、I、Jが着席した。わかりやすく言うと、こうだ」

 これならば、彼は文句を言わなかったのかもしれないが、正直、11人は、非常に多い。人間が瞬時に覚えられる数の限界、マジック7を超えている。文章だけで説明することは可能だが、その状況を読者が正確に把握できるか、読みながら瞬時に思い浮かべられるかというと、難しい。

 ぼくがやったように説明した場合でも、元々の作品のように文章による説明がなかった場合でも、「11人という数の多さ」と「正確な座席の位置を思い浮かべる難しさ」とを考えると、イラスト図解の使用に妥当性がないとは決して言えない。むしろ、妥当性はある。書き手としては、そう断言できる。

 ぼくの結論をまとめると、こうなる。

1.「こんな感じ」と言って席順のイラスト図解を使用するのは、ラノベ的表現である
2.そのイラスト図解に対して、個人的な不快感を表明するのは個人の自由である
3.そのイラスト図解を、ラノベ全般の文章説明力が低下した象徴として見るのも個人の自由である
4.しかし、そのイラスト図解がその作品において妥当ではないと断言することはできない。むしろ、妥当である。
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