そのタイトルを知ったのは、柄谷行人がきっかけだった。蓮見重彦との対談集『闘争のエチカ』のなかで、その名を口にしていたのだ。
　それから十余年。
　昨日から今日にかけて、『トリストラム・シャンディ』（岩波文庫、1969年）を読んだ。
　18世紀の古典である。
　原題はThe Life and Opinions of Tristram Shandy,Gentleman。
　原著は9巻構成になっているが、未完である。
　この出世作で、ちょいと血筋はいいが田舎牧師にすぎなかった著者ロレンス・スターンは、２週間前に予約しないと会食できないという文学的スターとなった。

　『トリストラム・シャンディ』は、ジョイス、プルースト、ヴァージニア・ウルフら、小説の「物語性」を否定し、ひたすら「意識の流れ」を追求した文学者たちの源流に位置づけられる小説である。
　普通、小説というのは意味のある筋書きのつながりになっている。よくわからないものが出てきても、それには必ずプロット上の意味がある。エンディングへ向かうための意味づけがなされている。そのように「物語性」が確保されている。
　だが、ジョイスやプルースト、ヴァージニア・ウルフたち「意識の流れ」派の作家たちは、「物語性」から筆を進めるのではなく、小説から「物語性」を切り離してしまった。ひたすら意識の流れに任せて筆を進め、意識の流れだけを追いかけて小説を紡ぎだしたのだ。
　そして驚いたことに、ロレンス・スターンは彼らより200年も早く小説から「物語性」を外し、目まぐるしく移る連想の流れに筆致を任せて文学的新境地を開いたのである。
　『トリストラム・シャンディ』は、非物語である。つまり、物語にあらざるものである。つながったストーリーの流れや発展、意味のあるプロットを期待していると、すぐさま裏切られる。
　あるお話が始まったと思うと、別の登場人物の連想によってストーリーは遮断。別の話へ脱線していく。だが、それも本筋ではなく、また脱線したり、元に戻ったりする。
　ひたすら連想の赴くまま、登場人物が人の話を聞いて自分勝手に連想。その連想に従って話はどんどん脱線をくり返し、主要な登場人物の饒舌三角形のもとで逍遥していくのだ。
　まさに、メインプロットもサブプロットもない、非物語。連想のシュトゥルム・ウント・ドランク。
　娯楽小説として読むなら、これほど人をおちょくった、つまらない小説はないだろう。しかし、ジョイスやプルーストやウルフを語る者にとっては、知っておいた方がいい著作のひとつに違いない。
トリストラム・シャンディ（上）
　　
トリストラム・シャンディ（中）
　　
トリストラム・シャンディ（下）