岩波ホールで、『イラン式料理本』という映画を見てきた。
⇒『イラン式料理本』公式サイト

　ＢＧＭもなく、エンディングテーマもない映画。
　手書きのスタッフロールが無音で流れるさまは、なかなか普通の映画では味わうことができない。文学的に言うと、これが異化作用か？

　いま現在、『イラン式料理本』を上映しているのは、国内では岩波ホールだけだ。その岩波ホールも、今月15日から16日から、ポーランド映画の上映に切り換える。正味あと10日ほどしかない。

　わざわざ普通の人が行かない映画を見に行ったのは、きっとＤＶＤで販売されることはないだろうと思ったから、つまり、まさにこの映画館でしか見られないだろうと思ったからだ（予想を裏切ってＤＶＤになってくれれば、それはうれしい）。

　というわけで、『イラン式料理本』。
　料理のハウツー本ではない。映画である。だが、映画というより、ナレーションのない、質問と応答だけのドキュメンタリーと言った方が正しい。

　excitingかといえば、100%、ＮＯ。
　７人の妻たちが料理する姿をザッピング的に映していくのだが、すべて水平アングル、すべてニーショット。アングル変更はなし、パンもズームもない。退屈極まりないカット、退屈極まりない映像。映像美なんて言葉は、この映画にはない。

　映像的努力をすべて捨てているのは、意図的なものだ。アングル変更を行えば、映像に注意が惹きつけられる。監督の狙いは、映像ではない。それぞれ世代の違う妻が語ること。その夫が語ること。その言葉を直接ぶつけることで、視聴者に訴えかけ、心の化学反応を起こそうとしているのだ。

　監督は、男女の上下関係が大きくシフトするイラン社会に一石投じたかったのかもしれない。だが、それは意図してか意図せずしてか、違う社会の日本人にも波紋を投げかけることに成功している。

　実は、圧倒的に男性が優位のイラン社会。かつては決まった時間に料理が出てこないと、夫は妻をぶったり皿を投げ飛ばしたりしていたという。しかし、映像を見る限り、そのような世代でも夫婦関係がうまくいっているところは、妻の仕事（料理）をレスペクトしている。

　監督の父親は、息子から「あなたの仕事と母の仕事と、どちらがきついか？」と聞かれて「妻だ」と答えていた。「なぜなら、妻の仕事は常に（他人から味を）評価されるから」。彼は、食事後に自分でクロスも片づけていた。

　一方、主人公や主人公の妹の夫は、妻の仕事をあまり評価していなかった。妹の夫は、自分の妻が料理に何時間掛かったかと聞かれて１時間と答えていた。実際は５時間ほど掛かってしまった。それに対しても、熟練すればもっと短くできるはずと冷たかった。そして妹夫婦と監督夫婦は離婚した。

　日本の社会でも、夫婦関係がうまくいっているところは、夫が妻の家事をレスペクトしているところではないかという印象を懐いた。そういう意味では、『イラン式料理本』は、非常にinterestingな映画だった。

　ちなみに『イラン式料理本』では、アングルは少し遠めの水平アングルに固定されているため、ほとんど料理自体は映像に出てこない。監督の義母が時折親切に鍋を傾けてくれるので見えるくらいで、あとはほとんど鍋の中。できあがる料理を見せるのが、この映画の目的ではないのだ。

　台所という妻の城、妻の仕事場で、世代の違う妻の言葉を見せる、聞かせる。そして、その夫たちの言葉を聞かせる。そのことによって、視聴者の中に反響を起こす。夫婦関係について、男女関係について、考えさせる。それが、恐らく監督の狙いなのだ。

　『イラン式料理本』は、今月から東京以外に全国各地でも上映される予定だ。
⇒『イラン式料理本』上映予定