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秋葉原無差別殺人事件。
筆者も何度も通った場所であり、特にメインの通りは何度も歩いていただけに、ニュースを見ていてもどこが現場なのかすぐにわかった。1週間後、現場を訪れたが非常に複雑だった。こんな場所で殺人など、あってはならなかった。
あの事件の原因については、外的要因と内的要因がある。
外的要因は、勝ち組と負け組の構造化を促進してしまった今の社会システムだ。勝ち組=正社員と、負け組=派遣という構図。インドネシアの人々の目は美しく輝いているのに、日本の若者の目は霞んでいる。若者に将来を楽しみにさせない、若者に夢を持たせない社会システムが、この事件の背景――外的要因だ。ツナギがなかったことではない。それはただきっかけになっただけで、本質ではない。
もちろん、もっと大きな文脈もある。
最近ハンス・ペーター・デュルの著作(「文明化の過程」全5巻シリーズ)にあたりながら羞恥心のことを調べているのだが、かつての社会は非常に監視――人の視線――が強く、羞恥心の高い社会だったという。ムラ社会だった、と簡単な言い方をすることもできるだろう。そこは知っている人の視線に囲まれた場所であり、常に知っている人の視線があった。視線から解放されるのは、大都市しかなかった。
近代システムは、知っている人からの視線、監視的視線から人を解放した。しかし同時に、知っている人の視線によりなされていたアイデンティティ確認――他人による自己承認――を弱体化させてしまった。大衆社会という近代社会システムは、自己承認機能の低下と引き換えに、監視からの自由を選んだのだ。他人による自己承認を犠牲にすることで、監視からの自由を手に入れたのだ。その結果、他者による自己承認を担当するものが親二人に集中することになり、それがうまくなされなかった子たちが自己承認障害――自己承認不全――に陥っている。鬱病や引きこもりも、その流れの中に位置づけて読み直すことができるだろう。そして恐らく、今回の事件も。
秋葉原無差別殺人事件の内的要因は、加藤容疑者本人の性質とその家庭だ。新しく出てきた5月29日~31日の日記も、6月3日~6月8日当日までの日記も、加藤容疑者の日記を読んだが、そのひねくれぶりには驚かされる。ちなみに、「ぬこ」とあるのは、猫のことである。
この凄まじいまでのひねくれっぷり。これだけどす黒い毒を含んだひねくれは、なかなか見ることができない。犯行の内的要因は、このひねくれた性格だろう。問題は、そのひねくれた性格はどこで培養されてしまったかだ。駅にぬこがいた
無視された
俺だけ
ぬこが鳴いてる
なんでかな
不細工だからか
そうか
すれ違った女子高生が大きく避けた
イケメソならぶつかりにいくんだろ
スーツの女の人がぼーっとしてる
6月病かしら
どうせ部屋に帰れば彼氏がいるんだろ
お前らは「そういう性格だから彼女ができない」って言うんだろ
逆だよ
彼女ができないからそういう性格になんの
そんなきれいごとはどうでもいいの
要するに、彼氏がイケメソで金持ちだったから>2112みたいなことを考えたんでしょ
不細工な俺がそんな風に思われるわけないもの
彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった
希望がある奴にはわかるまい
で、また俺は人のせいにしてると言われるのか
悪いのは全部俺
いつも悪いのは全部俺
いつも悪いのは全部俺だけ
別にいいけど
実際全部俺が悪いんだろうし
酔った
気持ち悪い
俺の顔の方が気持ち悪いですかそうですか
人は望んでいることが得られないとき、ひねくれていく。そしてそれが拡大し、長期化すればするだけ「どうせ」なんて口調を頻発して、ますますひねくれを増大させていく。
筆者は、中島敦の名作『山月記』の李徴を思い出した。かの名文の冒頭にはこうある。
狷介とは、本人が小学生時代に自分の性格を評して記した「強情」と同じ意味だ。本人の強情さと自尊心の高さと低い社会的地位。それが李徴を虎にしたが、同様に加藤容疑者を殺人者という虎に変えてしまった、という言い方もできるのかもしれない。性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
羞恥心を自尊心と読み替えると、加藤容疑者の姿と非常によく重なる。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって益々(ますます)己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。
自分の願望と世間的評価とのずれは、往々にして性格のひねくれを生む。こうありたいと思っているのにこうはならない。それが長期化すると、人の性格はひねくれていく。自意識の強さや自尊心の高さが重なった場合はなおさらだ。
加藤容疑者の場合、学歴エリートの道を高校まで進んだことと無関係ではあるまい。だが、ひねくれにはもっと根本的な問題がある。
人がひねくれるのは、本当はかまってほしいからだ。こうしてほしいと思っているのにしてもらえなかった場合、人はすねる。すねて、さらにひねくれた態度をとるようになる。
人がひねくれた態度をとるのは、自分の存在を無視されたり蔑ろにされたりした場合だ。A男やちゃんB男ちゃんはいっぱいかまってもらっているのに、ぼくはかまってもらっていない。A子ちゃんやB子ちゃんはかわいいかわいいって言ってもらっているのに、わたしは言ってもらえない。すると人はひねくれ、「どうせ」を連発する。拒絶や否定の言葉を連発する。しかし、本当に拒絶したいわけでも否定したいわけでもない。拒絶や否定をくり返すことによって、もっと強い愛情やケアを引き出そうとしているのだ。もっと自分をかまって、もっともっとかまってと叫んでいるのだ。
加藤容疑者の言う「彼女」とは、文字通りの彼女ではない。「彼女願望」と読み替えるべきものだ。彼の言う「彼女」とは、常に自分を見つめてくれて自分をケアしてくれて、自分の存在を承認してくれる相手、すなわち、自己承認を永続的に行なってくれる存在のことである。
加藤容疑者は、掲示板に犯行予告を書き込んだいきさつについて「誰かに止めてほしかった」と語っている。彼は、最後まで誰かにかまってほしかった。あなたを見ているよ、ケアしているよという証拠がほしかったのだ。結局最後まで、自己承認の不足と自己承認欲求とに取り憑かれていた。
加藤容疑者がそういう願望を持つにいたった背景には、家庭的なものがあるのだろう。彼には、神戸の事件の家庭を彷彿とさせるものがある。両親は教育に厳しかった。友達が遊びに来ても、勉強があるからと親が拒絶してしまったことがあるという。本人も、日記に親について記している。
近所では優秀な子として評判だったというが、いい点数をとっても親は厳しかったのだろう。あまり誉めてもらえなかったに違いない。人生にはモテ期が3度あるらしいけど、俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ
考えてみりゃ納得だよな
親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。
小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね
俺の力じゃないけど
親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ
俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ
中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた
より優秀な弟に全力を注いでた
中学は小学校の「貯金」だけでトップを取り続けた
中学から始まった英語が極端に悪かったけど、他の科目で十分カバーできてたし
当然、県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ
高校出てから8年、負けっぱなしの人生
あ、服もそう
好きな服を着たかったのに、親の許可がないと着れなかった
服を選ぶのが嫌で嫌で仕方なかった
誉めることは、自己承認の基本である。それによって人は自分が見られていること、見守られていること、評価されていることを知る。人の存在を安定させるために必要な、自己承認欲求を満たすことができる。
だが、加藤容疑者の場合、それは不足していたのだろう。さんざん親に強制されてがんばって勉強した。でも、認めてもらえない。これ以上、何をがんばればいいんだ。
そんな気分だったのだろう。だから、掲示板で「がんばれ」と言われると反発した。努力不足という言葉に対しても反発し、ひねくれみせた。だからこそ、中学から勉強が苦しくなりはじめ、高校ではできなくなってしまった。がんばれなくなってしまった。勉強をがんばっても親に評価してもらえないから、がんばれなくなってしまったのだ。そして、エリートから墜落した。親の敷いたレールから脱出しようと違う進学を目指したけれども、親から反発したところで、自分が欲しい自己承認が行なわれるわけでもない。
さらに彼の場合は、恋愛の傷が重なってしまったようだ。加藤容疑者は、何度も顔のことを口にしている。
恐らく、彼は恋愛で傷ついた過去を持っている。それがルックスの問題に結びついている。だからといって、同情に値するというわけではない。顔のことで悩むのは青春期の特徴だし、恋愛の傷はほとんどの人が抱えるものだ。西欧文学におけるリアリズム描写の変遷を描いたアウエルバッハの名著『ミメーシス』には、こうある。「騎士にふさわしいとみなされる対象は、ただ二つ、武勲と恋愛である」どうしてみんなが俺を無視するのか真剣に考えてみる
不細工だから
終了
友達ほしい
でもできない
なんでかな
不細工だから
終了
人口の男女比はおおよそ1:1なんだから、そんなにたくさんの男性が余るわけがない
余る理由はただ一つ、イケメソがたくさんの女性を確保してるから
俺が余る理由は不細工だからだけど
現代の男子も、中学に入って思春期が始まった途端、この「騎士」の道に組み込まれてしまう。それが「少年」から「男」になることである。残念ながら、勉強は武勲に入らない。学生時代、武勲といえばスポーツであり、社会人になればそれは仕事になる。そしてこの「恋愛」と「武勲」の2つにおいて、自分がどういう位置づけにあるのかが、男としての自信を左右することになる。
その仕組みは、決して悪ではない。それは遺伝的に仕組まれたものの社会システム的な反映であり、善のシステムだ。恋愛は秋葉原無差別殺人事件の主犯でも共犯でもない。主犯は、本人の自尊心とひねくれた性格。共犯は、他者による自己承認の不足(家庭的原因)と勝ち組/負け組を強調する若者が夢をモテない社会システム(社会的・経済的原因)だ。
彼の場合、問題は、家庭での自己承認の不足=否定が、「恋愛」においても自己承認の否定、そして「武勲」においても自己承認の否定と3つも重なってしまったことである。もし親がもっと誉めていたら、小学生時代に家出をすることもなかっただろうし、凶行に及ぶこともなかっただろう。もちろん、尊い七つの命が失われることも、決してなかった。
自殺する人というのは、友達が少なく、人間的ネットワークが貧弱な人たち、つまり、「孤独」と称される人たちが多いと言われる。実は、加藤容疑者もそれに当てはまる。実際、何度か自殺をしようと試みたようだ。だが、結局自分を殺すことには向かわず、自分以外の人を無差別に殺すことに向かった。その背景には、勝ち組/負け組を強調し若者から夢を奪う社会システムと、加藤容疑者本人の自己承認欲求不全と自尊心の高さがある。
加藤容疑者は、若者が夢と希望を失った現代の李徴なのだ。
山月記・李陵

ハンス・ペーター・デュル「文明化の過程」全5巻





ミメーシス(上) ミメーシス(下)


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鏡裕之 | URL | 2008-07-06-Sun 09:14 [EDIT]
semi | URL | 2008-07-06-Sun 15:22 [EDIT]
「普通に高校なり大学なりを卒業して会社組織に所属し勤め上げるのが人生の王道」などと親も子供も学校で洗脳されているが、実際のところサラリーマンなんて社会に取って最も都合のいい収税マシンにすぎない。
一部の例外を除いてサラリーマンは全員負け組だよ。
映画マトリックスで機械につながれ、現実を知らぬまま生涯を終えるあわれな人々と全く変わらないよ(あれはそれを意味したメタファーなわけだけど)。
鏡裕之 | URL | 2008-07-06-Sun 17:01 [EDIT]
派遣にとっては、「勝ち組=正社員」であり、すでにそのポジションを手に入れている正社員にとっては、「正社員=負け組」「社長クラス=勝ち組」ということになってしまうでしょう。
hzk | URL | 2008-07-16-Wed 03:48 [EDIT]
本当にその通りですよね。さぞ無念であったろうとおもいます。
実はあの事件が発生してから一度も秋葉原に出かけていません。単に都合がつかなかったというだけの理由なのですが、近い内に行こうと思います。
秋葉原が好きな一人として、せめて手を合わせるくらいのことはさせて頂こうと思うのです。
重ねて許し難いのは、事件以降、模倣犯を名乗るがごとくネットに書き込みを行い逮捕されたものが多数存在するという事実。迷惑極まりないどころの話ではありません。
長々と失礼致しました。
鏡裕之 | URL | 2008-07-17-Thu 17:29 [EDIT]
模倣犯は非常に腹立たしいですね。自分の身内や自分自身が同じ目に遭わないと想像できないほど、精神が貧困な人間なのだなと感じて憤りを覚えます。