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『コードギアス』はナショナリズムか~超越者の空白~
 エヴァンゲリオン以来の大ヒット作――というわけではない『コードギアス 反逆のルルーシュ』。
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 エヴァンゲリオンほどのブームにはなってはいないし、なりきらないであろうこのアニメは、果たしてナショナリズムが主題なのだろうか?
 こう問いかけたとき、ナショナリズムだと主張する方も、違うと反論する方も、ともに半分正しく、そしてともに半分勘違いをしているように思える。一方は、主題に対して。もう一方は、ナショナリズムという言葉に対して――。
 事の発端は、2007年8月8日に日経新聞に掲載された「ナショナリズムに走る若者」という記事だ。その中で、京都大学教授で社会学者の大澤真幸(おおさわ・まさち)が、『コードギアス 反逆のルルーシュ』の主題はナショナリズムであると主張したのである。
 それに対して、ネット上で少なからぬ反論が起こっている。曰く、『コードギアス』はナショナリズムじゃない、ナショナリズムが主題じゃない、大澤真幸は『コードギアス』を見ていないのではないか……。
 だが、そう反論する陣営にもまた同じようなことが言える。彼らは、大澤真幸の『ナショナリズムの由来』を読んでいないのではないか……。
ナショナリズムの由来

 ナショナリズムじゃないと反論するとき、彼らが念頭においているのは、ナショナリズム=右傾化という単純な理解だ。その背景には、19世紀~20世紀前半の古典的なタイプのナショナリズムがある。
 このタイプのナショナリズムは、「国民化」と要約することができる。
 母国語という「国民」の言葉を創出し、「国内」の産業を興して「国内」市場を拡大し、「国民」を平等に豊かにしようとする。鉄道を走らせ学校を整備し、ばらばらの町民の集合を、国民というひとまとまりの単位にまとめて国家の元に総動員していく。憲法の元での平等とか差別の撤廃といった普遍性を押し広める。同じ国民である限りは、同じ権利を持ち、同じ言葉を話し、同じ国家を歌う。
 それが国民化だ。
 日本というひとつの国家、ひとつの特殊性の中で、普遍性を押し進める運動である。そしてその国民化を国家の元に極大に集約していったのが、戦前の軍国主義だった。個人の死は、国家が担保してくれた。ある個人の死はむなしくても、それが国家のためなら無駄死にではない、むなしくはないとされた。すべては国家のために捧げられたのだ。それが、多くの人が懐いているナショナリズムのイメージだろう。
 だが、『ナショナリズムの由来』を上梓したばかりの大澤真幸が、古典的な、古いタイプのナショナリズムを考えているわけではあるまい。ましてや、ナショナリズム=右傾化という貧弱な理解の元で語っているわけでもない。
 ナショナリズムは、言ってみれば、特殊性と普遍性の運動、特殊主義普遍主義の運動である。古典的なナショナリズムにおいては、その相対立する2つの流れが、国民=国家という枠組みの中で均衡を保っていた。
 だが、新しいタイプのナショナリズムではその均衡が崩れる。その結果、特殊主義と普遍主義は両極端に向かっている。新しいタイプのナショナリズムは、いってみれば「民族化」と「多文化化」である。国家より小さな、「民族」という単位で普遍化を目指す動きと、国家より大きな、「文化人種」という単位で普遍化を目指していく動きとの2つの動きに、新しいタイプのナショナリズムは引き裂かれているのだ。
 これを引き起こしているのは、資本主義――正確に言うなら、経済のグローバル化である。『ナショナリズムの由来』の中で、大澤真幸はこう言っている。
 

資本主義のグローバル化は、人に、「全能であるべきものの『無力』についての体験を与えることになる。「全能であるべきもの」とは、主権を有する国民であり、そしてその主権を実効的なものにする国家である。その「無力」が明白に露呈するのは、経済、とりわけ金融政策の領域だ。グローバル化した経済のもとでは、国家や中央銀行は貨幣の動きをまったく制御することができないのだ。それは、貨幣価値の妥当性を保証する第三者の審級が排出されてしまった状態である」(665頁)



 第三者の審級というのは、普遍性を保証する超越者だと思えばいい。
 絶対王政の頃には、普遍性を保証する超越者というのは、国王だった。命令は国王の名の下に出され、裁判も国王の名の下に行われた。貨幣価値を保証するのも国王であった。国王という実際に目に見える人間が、普遍性を保証していたのだ。
 だが、資本主義が誕生・発展すると、普遍性を保証する超越者は、目に見える具体的なものから、目に見えない抽象的なものへと形を変えていく。国王に変わって第三者の審級として現れたもの、それが国家=国民である。
 経済がグローバル化を迎えていないときには、この古典的なタイプのナショナリズムでうまくいったのだが、グローバル化によって、国家=国民が、その国の第三者の審級が相対化されてしまった。その結果、かつてのようにオブジェクトレベル(特殊性の視点)に染まって「日本万歳」を唱和し、「国家のため」に何かする……ということができなくなっている。
 かといって、メタレベル(普遍性の視点)を貫いているのかというと、そういうわけではない。第三者の審級はどんどん抽象化されて見えなくなっている。その中で、結果としてオブジェクトレベル(特殊性の視点)に落ちてしまう。メタレベル(普遍性の視点)とオブジェクトレベル(特殊性の視点)が入り交じっているわけだ。それが、大澤真幸の言う「アイロニカルな没入」である(ワールドカップでブルーのコスチュームに身を包む若者たちが極右主義者にならないのは、そういうことだ)。
 さらにグローバル化によって、資本主義の盲点が曝け出されつつある。
 大澤真幸曰く、資本主義とは、無へ向かって普遍化を押し進める運動のことである。だが、普遍化を行おうとしているのに普遍化からもれてしまう部分が生じてしまうのだ。それが、大澤真幸の言う<外部>である。ドゥルーズの言葉を使って、「マイノリティ」と言い換えてもいい。
 マイノリティとは、第三種の審級によって恩恵を受けていると思えない人たちである。そして、第三者の審級に対して声を持たぬ存在である。
 大澤真幸が「日本らしさの根がない彼らがあえてナショナリズムに走る理由は、彼らの不遇感と切り離せない」と言うとき、念頭にあるのは恐らくこのマイノリティ、<外部>のことだろう。
 おまけに、資本主義とは、第三者の審級を抽象化していく運動でもある。つまり、第三者の審級はますます抽象的なものとして見えない存在へ、無へと近づいていっているのだ。だからこそ、目に見えるナショナリズム、サッカー日本代表のブルーのユニフォームを身に着けてぷちナショナリズムに走るのである。
 さて、『コードギアス 反逆のルルーシュ』である。
 日本が神聖ブリタニア帝国という超大国に植民地化され、日本という名前を奪われて「エリア11(イレヴン)」と蔑まれているという設定には、確かにナショナリズムの薫りがする。少なくとも、ナショナリズムを喚起する装置が仕組まれている。また、日本が日本という国名を失ってひとつの記号と化しているところには、グローバリズムの中で意味を失っていく近代国家の姿を重ねられないわけではない。
 だが、ブリタニア帝国と黒の騎士団という対決構図を、米国とアルカイダの対立に併置して考えるというのはどうか。それは、『ナショナリズムの由来』の著者としては、あまりにも軽薄な分析ではないか。
 大澤真幸は、西欧ヨーロッパでは、かつてはラテン語が使われたこと、ラテン語が父の語と呼ばれていたこと、代わりに国民の言葉として生まれた各国の国語が母の言葉、すなわち「母国語」と呼ばれるようになったことを興味深く指摘している。また、イギリスの源流がブリタニア、ドイツの源流がゲルマニアと、双方ともに女性名詞、すなわち母なるイメージで指示されているとも指摘している。帝国が「父」なるイメージだとすれば、近代国家は「母」のイメージなのだ。
 だが、『コードギアス 反逆のルルーシュ』の世界を支配しているのは、神聖ブリタニア帝国である。「父」なる帝国のはずなのに、「母」なる名前なのだ。おまけに公用語には、かつてのラテン語のように英語が使用されている。なんという屈折! おまけに、黒の騎士団を率いるルルーシュは、日本人ではなくブリタニア人、それに対抗してブリタニア側についている枢木スザクは、ブリタニア人ではなく日本人なのだ。『ナショナリズムの由来』の著者としては、その屈折に注目するべきであったと思うのだが、安易にテロリズムの構図に流れてしまっている。血迷ったか、大澤! というところである。
 『コードギアス 反逆のルルーシュ』には、確かにナショナリズムの装置がある。「日本人を皆殺しにせよ」と冗談で命じたところ、ギアスが発動、皇女ユーフェミアによって実行されてしまうというくだりにも、ナショナリズムの匂いを感じることはできる。また、占領下にあるエリア11のモデルが、日本占領下の台湾や米国占領下の日本という背景も、その匂いを強めている。『コードギアス』には、確かにナショナリズムが流れている。
 自分たちはナショナリズムになんか走っていない、右傾化していないという反論は、的外れである。的外れになってしまったのは、恐らくナショナリズムに対する理解の浅さ、そして記者が付した、ナショナリズム=右傾化という杜撰な要約に原因がある。一方が、ナショナリズムという言葉に対して勘違いしているというのは、そういうことだ。
 しかし、大澤真幸もまた、半分正しく、半分違っている。『コードギアス』をナショナリズムの観点から分析することは充分可能だが、『コードギアス』の主題をナショナリズムだと言い切るのは、少々難しいようだ。勿論、この場合はナショナリズムとは右傾化のことではなく、特殊主義と普遍主義を兼ね備えた装置のことだが、ナショナリズムの観点では、ギアスという能力を捉えきれない。
 我々は、むしろ『コードギアス 反逆のルルーシュ』の中に、第三者の審級の不在を、その不在の反映を見るべきなのだ。
 資本主義とは、第三者の審級を抽象化していく運動である。つまり、第三者の審級が抽象化し、無に近づいて見えなくなっていく運動なのだ。
 だが、そうなったとき、第三者の審級の恩恵を受けていると感じられない者はどうするのか。目に見える形での第三種の審級(の代理)を求めるしかない。それが、ファンタジー小説に頻出する架空の帝国であり、そして『コードギアス』の中の神聖ブリタニア帝国なのだ。そう考えると、黒の騎士団は、国家=国民という単位から、より小さな単位へ、「民族」へと特殊化していく新しいナショナリズムのひとつの運動を表していると捉えることができるだろう。
 『コードギアス 反逆のルルーシュ』には、古いタイプの帝国と新しいタイプのナショナリズム、帝国に存在していたタイプの第三種の審級と新しいナショナリズムに潜むタイプの第三種の審級とが混在しているのだ。だが、そのどれもが確実ではない。抽象化し、無へ近づいていく第三者の審級のように――。
 それを端的に表すエピソードがある。「合衆国ニッポン」の設立を宣言し、トウキョウ租界へ攻め込み、ブリタニア軍相手に勝利を目前にしたルルーシュは、妹のナナリーが誘拐されたことを聞いて指揮を放棄してしまうのだ。
 国家のために死ねない時代なのはわかっている。だが、民族のためにも死ねないのだ。死の担保は、国家も民族ももってくれない。第三者の審級は無へ近づいている――そんなことをささやいているようだ。
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