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二流のプロはどうやったら一流になれるのか?~Game Community Summit2012~
 2012年6月16日午前11時半~12時半、Game Community Summit2012(場所:国立情報学研究所)にて行われたぼくの講演の原稿を、以下アップします。

■初めに
 鏡裕之です。
 パソコンゲームをつくってまる17年。小説の方はまる14年。今まで50本以上のゲームのシナリオを書いてきました。1本をのぞいてすべて単独ライティングです。EURO2012真っ盛りで、最近仕事していません(笑)。
 今回は、拙著『美少女ゲームシナリオバイブル』と『非実在青少年論~オタクと資本主義~』をベースにお話をします。実は『非実在青少年論~オタクと資本主義~』は、『美少女ゲームシナリオバイブル』のサブテキスト的な存在です。
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■二流のプロから一流のプロになるためには?

 「どうすればアマチュアがプロになれるのか」については、答えがわかっている。
 素直さがあること
 デフォルトが低くても、素直な子は必ずプロになる。デフォルトの能力は関係ない。クリエイター業界以外の、たとえば喫茶店業界でも、伸びる子は間違いなく素直な子。

 問題はプロになってからです。プロになったからといって一流というわけじゃない。たいていは二流。では、ノベルゲームの世界において、どうすれば二流のプロから、一流のプロになれるのか。
 最初に基礎論的なことを、5つ説明する。

■基礎論1・物語の機能
 物語には2つの機能がある。

1.カタルシス
2.人生を見せる

 物語を鑑賞して、「こんな人生いやだ」と思う。あるいは「これこそおれの人生なんだ」と思って泣く。
 近代以前では、宗教が普遍的な物語として機能していた。
 近代は、近代国家と科学技術の発展が、大きな物語を見せていました。その1つが、「お国のために!」というファシズムだったりした。。
 今は、自分が「小さな物語」を見つける。セレブみたいに、雑誌が仕掛けたブームの中に。あるいは、アニメ、マンガ、小説、ゲームなどのフィクションの中に。

■基礎論2・世界解釈のシフト~データベース消費からウロボロス消費へ~

 人が生きるためには、物語が必要。なぜ死ぬの? なぜ不幸な目に遭うの? それは、こういうのが人生だからじゃよ。
 物語が、人々に人生を見せてくれる。

 近代以前、宗教が強かった頃は、宗教がその役目を果たしていた。宗教が「普遍的な物語」を人々に与えて、人生を解釈させていた。イメージで言うと、こう。
図1a
 宗教は、見渡す限り広がる空のイメージ。その遥か上空から、人生の意味がシンプレックス(片方向的)に押しつけられる。トップダウン型のモデル。

 近代になると、宗教の位置に違うものが入る。
 近代国家。
 近代国家が科学技術の発展と組んで、「大きな物語」を見せてくれていた。「科学技術は進歩し、世界は発展していくであろう。我が国もである。君は国家のために働け、さすれば君は幸せになるであろう」。
 近代以前も、近代も、ともにトップダウン。上からのシンプレックス。非常に垂直性(超越性)が高い。

 しかし、近代は崩壊する。「大きな物語」は壊れて粉々に。「小さな物語」になっちゃった。イメージで言うと、こう。
図1b
 宗教が見せてくれていた「普遍的な物語」や近代国家が見せてくれていた「大きな物語」と比べると、「小さな物語」は猛烈に小さくなる。イメージで言うと、雲1つ。おまけに、「小さな物語」は国家がぼくらに見せてくれるものじゃない。フィクションが見せてくれるもの。具体的には、ポケモンの世界設定やガンダムの世界設定。フィクションが用意してくれる物語世界と物語設定。それが、「小さな物語」。評論家の大塚英志は「大きな物語や秩序」と言っている。

 「小さな物語」はトップダウン型ではなく、ボトムアップ型。読者が「小さな物語」に働きかける。すると、「小さな物語」の世界設定が意味を返してくれる。つまり、インタラクティブ(双方向的)。物語消費というより、設定消費。

 さて、この雲1つだったものをいっぱい集めました。複数の作品群にまたがって、色々集めたらデータベースになっちゃいました。それを消費して意味を回収する。それが、東浩紀の言うデータベース消費。東浩紀は「深層」にデータベースがあるという言い方をしているが、「表層-深層」の上下をひっくり返すと、大塚英志のモデルとそっくりになる。
図1c
 データベース消費を行うのは、1960年生まれ中心のオタク第1世代と1970年生まれ中心の第2世代だけ。80年生まれが中心の第3世代と90年生まれが中心の第4世代は違う。
 第1世代や第2世代は、『エヴァンゲリオン』を見ると、これは何のパロディだとか、いろんなデータへの照合を行う。でも、『エヴァンゲリオン』を思春期の頃に見た子たちは、データベースに照合したりしない。ああ、面白かった。以上、終了。泣いちゃった。以上、終了。
 オタク第3世代や第4世代の意味解釈の方法は、ぼくが『非実在青少年論』の中で提唱している「ウロボロス消費」。
図2
 インタラクティブ(双方向的)ではなく、シンプレックス(片方向的)。受け手から物語へアクセスして、そこでおしまい。アクセスの中心点は、キャラクター。アクセスして気に入った場合、つまり意味解釈が成功した場合、同じエンターテインメントという平面上でTVが最初なら次は映画、次は小説というようにまるでベンゼン環的な円環を描くように追跡消費をしていく。
 ゲーム、アニメ、マンガ、ラノベ……そういうコースターが円環状に並んでいると思ってほしい。そのコースターの上を、1つのキャラを追いかけて水平移動していく。そして、ベンゼン環のような円を描く。このような消費の仕方を、ぼくは、自分の尻尾を咥える蛇のイメージから「ウロボロス消費」と呼んでいる。
 ウロボロス消費には、超越的に上に位置するものがない。つまり、超越性がない。ちょうどこれは、モラルのように、人に対して超越的に働きかけるものがないということと対応している。超越性がないということを、大沢真幸は「第三者審級が撤退している」と表現している。

 さて。
 コースターに対して超越的に上位に位置するものはないけれど、コースター自身には厚みがある。この厚みが、物語。
 ウロボロス消費を一瞬でやっちゃうと、イラスト消費になる。絵描きAが描いた綾波レイのイラストを見る。次にBが描いた綾波レイを見る。次にC。次にD。これが一番速い。
 2001年に発刊されたマジキュープレミアムという雑誌があった。萌え全盛期。イラストで萌えを消費する雑誌。イラストという形でのウロボロス消費。
 でも、2003年に休刊。代わりに2004年からラノベブーム。『Fate/stay night』大ヒット。

 何が起きたのか?

 2004年は90年代生まれの第4世代がラノベの中心読者になった時代。さらに彼らがノベルゲームに到達する2008年頃から、すべての美少女ゲームに対してもストーリー性が要求されるようになっている。
 イラスト消費は、コースターをぺったんこにして厚みをなくしたもの。対して深い物語は、コースターの厚みを増したもの。
図3
 薄っぺらいコースターを消費するウロボロス消費から、厚みのあるコースターを消費するウロボロス消費に切り替わったということ。平たく言うと、物語という厚みを求めるようになったということ。

 どういうことか。

 キャラクターともっと深くコミットメントしたいということ。『ラブプラス』は、まさにキャラクターとの1対1の深いコミットメントを具現化したゲーム。

 90年生まれ付近の子は、深いコミットメントが足りていない。キャラクターと深くコミットメントするためには、イラストだけじゃ物足りない! 物語がほしい! だから、キャラクターとの深いコミットメントを実現するものとして、今はストーリー性が非常に重要。そしてそれを実現するものとして、ライトノベルやストーリー性の強いノベルゲームがある。

 物語に対してインタラクティブなアプローチをしていた時代、大塚英志的な設定消費や東浩紀の言うデータベース消費が行われていた時代は、ゲームというインタラクティブなメディアや、『MYST』のようにインタラクティブ性の高いアドベンチャーが元気だった時代に呼応している。この頃のメインの客層は、60年代や70年代生まれ。
 ウロボロス消費は、ノベルゲームが元気な時代に対応している。80年代生まれがメインの客層だった頃には、萌えキャラ全盛期だった。萌え絵のイラスト消費も行われていた。しかし、90年代がメインの客層に移り始めると、キャラクターとの1対1の深いコミットメントを実現してくれるものへ時代がシフトしている。

■基礎論3・オタク/腐女子とセクシュアリティ

秋葉系コンテンツは、性的役割の受容に悩む人たちを対象にしている」(これは集団的な傾向、多数派的な傾向)
 
 性的役割の受容とは、男性は男性性(大人のオスとしての役割)を受け入れるということ。女性は女性性(大人のメスとしての役割)を受け入れるということ。

 男性性というのは、オスらしさ。大人のオスになったら期待されること。現実社会というサバンナに立ち向かって、経済的にも、恋愛的にも、自分から積極的に狩りを行い、責任を背負い、決断する。セックスにおいて男らしさを発揮する。
 女性性というのは、メスらしさ。大人のメスになったら期待されること。現実社会というサバンナに立ち向かって、メスとしての自分を磨き、家事や料理などの技術を身に着ける。セックスにおいて女らしさを発揮すること。

 男性性の受容と育成に失敗して、男性性の発育が非常に未熟な人が男性オタク。女性性の受容と育成に失敗して、女性性の発育が非常に未熟な人が、腐女子。これがぼくたちのお客。

 男性性と女性性は、思春期に萌芽する。しかし、経年成長はしない。つまり、加齢をしても成長してくれない。異性とコミットメントしなければ、成長しない。
 一般人と比べて、オタクや腐女子は、男性性や女性性が非常に低い段階でとどまっている。それによって、2つのことが発生する。
 1つめ。
 現実社会の残酷さに対する適応度が不十分な状態になっている。そのため、秋葉系コンテンツでは、現実社会の残酷さがかなり抑えられている。
 2つめ。
 オタクや腐女子にとって、セクシュアルな願いを叶えることは困難な状態。けれども、セクシュアルな欲望は消失するわけではない。そのセクシュアルな願いを叶えるために、男性向け女性向け問わず、秋葉系コンテンツには、必ずセクシュアルな要素が盛り込まれている。

■基礎論4・オタク/腐女子と劣等感
 ライトノベルの客層とノベルゲームの客層。両者は、求める主人公像が異なっている。主人公像を見れば、どういうユーザーなのかを推測することができる。

 ライトノベル……見るからにただ者ではなくて、やっぱりただ者ではなかったという主人公像を求める。ユーザーが理想的な姿として思い描くもの。
 ノベルゲーム……人間性も男性性も低く取り柄もない、ただの人。けれども、なぜかモテてしまう主人公が多い。メンタリティ的にはユーザーの似姿。対異性関係は、ユーザーの願望。

 両者の共通点は、「男性性の低さ」。ただし、低い理由が違う。
 ライトノベルの場合。男性性は思春期に萌芽する。生まれたばかりがゆえに、男性性が低い。
 ノベルゲームの場合。性的役割の受容に失敗したがゆえに男性性が低い。

 両者の最大の違いは、「性的な劣等感や敗北感」の有無。
 ライトノベルの客は、中高生がメイン。中高生では童貞が当たり前なので、性的な劣等感や性的な敗北感がない⇒それゆえ、理想的な姿を主人公に求める。
 ノベルゲームの客は、大学生以上で性的な劣等感や性的な敗北感を持っている。自分を凄いと思えない人たち。それだけ自尊心が傷ついている。理想的な姿は自分とかけ離れていて感情移入できない。

 なぜこの違いが生まれるのか。

 鍵は18歳。
 現実社会の残酷さとは、資本主義社会の残酷さ。高校まではその残酷さに対してシールドされている。
 しかし、高校を離れたとたん、学歴カーストに完全に巻き込まれてしまう。学歴カーストは、資本主義社会でのカーストにつながっている。ここで、挫折と敗北が始まる。
 中堅クラスの大学に勤める先生に話を聞いたら、そこの学生は自信が持てていないという。「自分が通っている大学は別に凄くないし、だから、自分も凄くない」ということ。
 自分のことを凄く思えない。つまり、学歴カーストで敗北して、自尊心が傷ついている。そこに性的な敗北と恋愛カーストでの劣等感が折り重ねられている。さらに社会に出れば、経済的な劣等感が加わる。オタクの子は、多くが下流社会。

・学歴カーストでの劣等感。
・恋愛カーストでの劣等感。
・性的な敗北感。
・経済的な劣等感。

 この4つの敗北感・劣等感に苦しんでいるのが、オタクであり、腐女子。つまり、ぼくらのお客。そしてその人たちを楽しませるのが、ぼくらの仕事。

 秋葉系コンテンツには、そのための配慮が満ちあふれている。
 たとえば、恋愛カーストでの劣等感をクリアーするために、特に男性向けではイケメンが、打ち倒されるライバルとして登場する。経済的な劣等感をクリアーするために、大金持ちの女性や男性が登場する。大金持ちの子と恋愛し、その子を所有することで、経済的な劣等感を一時的に吹き飛ばす。

■基礎論5・ゼロ人称。

ノベルゲームの一人称は、ゼロ人称

 三人称客観というのがある。客観的な、第三者的な視点で見る視線のこと。大沢真幸が『ナショナリズムの由来』の中で紹介している議論を紹介する。
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 簡単に言うと、近代国家が生まれて母国語という共通ベースが誕生した時、小説の世界に三人称客観が生まれたということ。だから、小説の一人称にも二人称にも三人称にも、三人称客観というのが入っている。
 だが、ノベルゲームの一人称には、三人称客観が入っていない。

 たとえば「ぼく」という一人称。

 小説では「ぼく」という第三者を見ている。「ぼくはよくおねしょをしていた」という小説の文章を読んでも「自分は違う!」と頭に来る人はいない。三人称客観が入っているから、他人のこととして眺めている。
 しかし、ノベルゲームの場合、いやな気分がする。主人公にのめりこんでいけない。三人称客観が入っていないからそうなる。

 三人称客観の問題を、映像で捉えなおす。

 小説、マンガ、映画――通常のエンターテインメントは、すべて客観ショットがメイン。サブ的に主観ショットを使う。
 ノベルゲームだけが、主観ショットがメイン。イベントCGという限定的な形でサブ的に客観ショットを使用。
 客観ショットでは、他人のこととして眺める。主観ショットでは、自分のことのように捉えてしまう。

 小説の一人称は、客観ショットで捉えられたもの。ノベルゲームの一人称は、主観ショットで捉えられたもの。両者を同じものとして考えることはできない。ぼくは、ノベルゲームの一人称を一人称より手前のもの、「ゼロ人称」と読んでいる。
 ノベルゲームは、「ノベル」という名前がついていても小説ではない。小説は三人称客観システム。ノベルゲームはゼロ人称システム。だから、小説みたいな書き方をしてはいけない。
 主観ショットの物語では、主人公は眼鏡のようになる。眼鏡に余計なものをつけると見えづらくてストレスが生じる。だから、主人公は透明になることが多い。ノベルゲームの主人公は細心の注意を払わなければならない。

○まとめ
・秋葉系コンテンツは、男性性の受容と育成に失敗している男性と、女性性の受容と育成に失敗している女性をターゲットにしている。
・ライトノベルのメイン読者には、性的な劣等感がない。対してノベルゲームのメイン読者には、性的な劣等感、学歴カーストの劣等感、恋愛カーストの劣等感、経済的な劣等感がある。
・ノベルゲームの一人称は、ゼロ人称であり、三人称客観が入っていない。したがって、小説とは別物である。

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ノベルゲームと社会
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■ノベルゲームとは?
 ノベルゲームの定義には、ノベルゲームという形式の定義と、ノベルゲームというジャンルの定義がある。
 まず、形式の定義について。

・インタラクティブ性が少ない
・ストーリー性が強い
・主観ショットが主(主観ショットをゲーム的に映像表現すると、「背景+立ちポーズ」になる)

 ここまでが「ノベルゲーム」という形式の条件。

・シナリオが1MB以上

 この条件を追加すると、ノベルゲームというジャンルの定義になる。ジャンルとしての4条件を、恐らく最初に満たしたのが、2000年発売の『Air』(Key)。

 ノベルゲームは、アドベンチャーゲームからの派生物。だが、今や立場は逆転している。

■なぜノベルゲームとアドベンチャーゲームの立場は逆転したのか?
 キーとなるのは95年。
 95年は2つの重要な事象が起きている。

 1.Windows95の誕生
 2.バブル時代から希望格差時代への社会変化

 先取りして言うと、Windows95は客層を変化させた。そして「バブル時代から希望格差時代への社会変化」は、客層のメンタリティに変化を起こしていた。そして両者によってゲーム性の後退が起こり、代わりにストーリー性追求の流れが強化された。

 具体的に説明する。

■Windows95がもたらした客層の変化とゲーム性消失

 Windows95以前……つわものの時代。分岐ものは自分で分岐をメモする、RPGのマップは図面を書く、あるいは脳内に図面を書くというプレイヤーが多かった。確率1/6000でトゥルーハッピーエンディングにたどり着くゲームでも、苦情はなかった。
 Windows95以降⇒ビギナーが多数乱入。複雑なゲーム性のゲームは「攻略できない」「面倒臭い」として文句を言われる⇒複雑なゲーム性を入れづらくなる⇒ゲーム性が後退⇒ゲーム性消失への大きな布石。

■理系エリートからノンエリートへ、バブル世代からY世代へ

 もう少し詳しく見てみる。

 95年以前……客層はDOSを駆使できる理系エリート。理系エリートとして自分を凄いと思えるベースがある。それゆえ、理想的な姿を主人公像として持つことができた(ここは、ラノベ読者と共通)。またバブル世代であり、社会には「恋愛マニュアル」という男性性を育てるプログラムがあった。『同級生2』の一匹狼の主人公は、彼らの理想像。

 95年以降……客層はノンエリート。自分を凄いと思えるペースがない。それゆえ、理想的な姿を主人公像として持てない。Y世代であり、男性性を育てるプログラムは消失。一匹狼は彼らが求める主人公ではない。

 理系エリート⇒知的な積極性⇒インタラクティブ性(ゲーム性)のあるゲームを好む。攻略やコンプリートに命を懸ける。
 ノンエリート⇒知的な積極性を持たず、受動的。攻略やコンプリートに命を懸けるタイプではない⇒面倒臭いものを忌避、受動的なものへシフト⇒それにマーケットが呼応して、ゲームは「参加するメディア」から「読むメディア」へ。

 参加するメディア=『MYST』のようにインタラクティブ性の高いアドベンチャーゲームなど。
 読むメディア=ノベルゲーム。

■社会変化とゲームへの態度の関連

 両者には、社会変化が深く関わっている。宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で整理しているように、

 95年以前は「頑張れば夢は叶うし、生きている意味も見つかる」という社会。
 95年以後は「頑張っても夢は叶わないし、生きている意味も見つからない」という社会。

 「頑張れば生きている意味も見つかる」という社会的雰囲気と「頑張れば複雑なアドベンチャーゲームでも謎は読み解ける」という姿勢は共通性が高い。
 「頑張っても生きる意味は見つからない」という社会的雰囲気と「面倒臭いことをして複雑なアドベンチャーゲームの謎解きをしたくない」という姿勢は、共通性が高い。

 あるタイプのゲームを受け入れるメンタリティと、社会状況とは相関しているということ。

 参考までに。
 ノベルゲームの誕生として位置づけられるのは、1996年の『痕』。96年は、95年以降の世界。非常に象徴的。

■ストーリー性追求の強化
 「ノンエリート=Y世代」の増加に対応するかのように、ストーリー性を強化した有名なノベルゲームが生まれる。

・97年の『To Heart』
・99年の『kanon』
・2000年の『Air』
・2004年『Fate/stay night』

 97年の『To Heart』⇒みんな『To Heart』みたいなラブストーリーのゲームをつくるようになる。ストーリー性強化第1弾。
 99年の『kanon』⇒みんな泣きゲーのようなストーリーのゲームをつくるようになる。ストーリー性の強化第2弾。
※泣きゲーとは、プレイヤーの挫折感や喪失感を刺激することによって涙のカタルシスを味わわせることを主眼としたノベルゲームのこと。
 2000年の『Air』。それ以降のニトロプラスの成功で、ストーリー性追求の流れは継続。
 2004年『Fate/stay night』⇒ストーリー性の強化第3弾。ゲーム性の追求は消失。ストーリーにばかり走るようになる。
 2004年は、バブル世代の最後が35歳。つまり、美少女ゲームを脱する年齢。

 現在、Y世代は、すでにメインの客層から退きつつある。しかし、2004~05年のラノベブームが、読者の嗜好を変化。たとえば美少女ゲームでは、2008年辺りからお客が全ジャンルのゲームに対しても高いストーリー性を期待するようになってしまった。この傾向はまだつづいている。

 格差社会の中では、社会は不安定。その中で、不安な中でアドベンチャー的な積極的な謎解きをするのは厳しい。けれども、安心した上での積極的な謎解きならOK。『逆転裁判』の流行は「必ず無実にできるはずだ」という安心感の上での積極的な謎解き。

○まとめ
・Windows95によって客層が変化。メインの客層が、バブル世代の理系エリートから、Y世代のノンエリートにシフト。
・それにしたがって、ゲーム性が後退。代わりにストーリー性追求の流れが強化。アドベンチャーゲームとノベルゲームの立場は逆転。
・アドベンチャーゲームを好むバブル世代の嗜好と、ノベルゲームを好むY世代の嗜好とは、それぞれの社会的状況に対応している。
・ノベルゲームを受け入れる社会的状況は、まだつづいている。

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  一流と二流
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■ノベルゲームのエンターテインメント
 さて。
 ノベルゲームで人を楽しませるとは、具体的にはどうすることか。

 ストーリーで人を楽しませることではない。答えはこう。

・ストーリー
・主人公
・男性向けの場合はヒロイン、女性向けの場合はヒーロー

 この3つでお客を楽しませるということ。

■現代の秋葉系作家の技術
 秋葉系コンテンツで物語を書くという場合、3つの技術が必要とされる。

・キャラクター技術
・プロット技術
・ライティング技術

 この3つの技術の出来具合で、作品のレベルが決まる。

■プロはどの技術を意図的に磨けばいいのか?

 プロット技術!
 ライティング技術はOJTで上がる可能性がある。「余計なフレーズを書いてたまるか、最短で書いてやる!」と強い意識を持っていれば、キャリアを積むうちに上達する可能性が高い。
 しかし、プロット技術は?
 ちゃんとエンディングまでお話を終えましたという経験が合計50本行かないと、まともにはならない。200本近くになってやっと一流に近づく。会社で仕事をするだけでは、数年経ってもプロット技術は上がらないし、ラノベ作家との技術の差は埋まらない。
 プロのシナリオライターは、意図的にプロット技術を磨くべし! そのためには、水戸黄門のプロットを何本も切るのがグー。

■復習~ノベルゲームの定義~
 ジャンルとしてのノベルゲームの定義。

・主観ショットがメイン
・インタラクティブ性が少ない
・ストーリー性が強い
・シナリオが1MB以上

「インタラクティブ性が少なく」「ストーリー性が強く」「シナリオが長い」ということは、「プロット技術とライティング技術に比重が掛かる」ということ。

■ノベルゲームはアウェイ状況

 かつて、キャラクター技術においてはノベルゲームがリードしていたが、今はそうではない。しかも、2004年以降、ノベルゲームはゲームだからこそ持っていたインタラクティブ性(ゲーム性)を捨ててストーリー勝負に走ってしまった。結果、ラノベと競合状態に陥っている。
 重要なのは、ラノベ作家の方が、ライティング技術もプロット技術も高いということ。キャラクター技術は変わらない。そして、ラノベのほうが遥かに安く、ノベルゲームのほうが遥かに高い。かたや6000円。かたや600円。かつては「積みゲー」という言葉があったが、今は「積みラノベ」。
 しょうもないストーリーでしょうもないテキストを書いてでは、勝負にならない。ノベルゲームで本当に勝ち抜くためには、ラノベレベルのプロット技術とライティング技術が必要。そして、今ソフトハウスで一番弱いのが、この両方の技術。つまり、プロット技術もライティング技術も二流というパターンが非常に多いということ。

 では、どうするのか。
 ここで今回のテーマに戻ってくる。
 クリエイターとして、二流のプロから一流のプロになるしかない。

■人間性の高低と、プロの高低
 人間性の低い条件というのがある。

・羽振りがよくなるとすぐ驕り高ぶる

 これ、ひっくり返すと人間性の高い条件になる。

・羽振りがよくなっても驕らない。

 他にもある。

・上には媚び、下には威張る⇒上にも下にも同等に丁寧に接する

 人間性の低い条件をひっくり返すと、人間性の高い条件になる。同様に、二流のプロの条件をひっくり返すと、一流のプロの条件になる。

■二流の条件
 クリエイター全般に言える二流の条件は、

・連絡が遅い
・仕事が遅い
・電話レベルとメールレベルの使い分けができない
・自分からプラスアルファを提示しない
・リテイクをお願いされると、説得力のない言い訳で抵抗する
・巨視的ではなく、微視的で、メタレベルが低い
・どうでもいいディテールにこだわって、本質的なところをスルーする
・他人に仕事を任せられない
・読者の満足を考えていない
・コンディション管理ができていない
・すぐ凹む
・決断が遅い

 二流のシナリオライターの条件

・無闇に冒頭が長い
・無駄にダラダラしているシーンが多い
・削る技術と圧縮する技術がない
・台詞も文章もいまいち
・人間が描けない
・年齢差のあるキャラが描けない
・プロット技術が貧弱

 ここで心が折れた人は、二流です(笑)。
 でも、大丈夫。
 二流は病気みたいなもの。治せます。一流になるのは、それほど難しいことじゃない。一番難しいのは、超一流になること。
 一流になるために大切なこと、そして二流の人を扱うために大切なことは、なぜ二流なのかを理解すること。
 具体的な話をする。

■二流の条件~クリエイター編~
○連絡が遅い
○仕事が遅い

 一流は連絡が早く、二流は連絡が遅い。
 連絡が遅いということは、いつも自分が優先させたいことに関わっていて、連絡相手に意識が向かっていないということ。つまり、自分優先で仕事が遅い。そのような人が、よいチームワークを発揮できるか?

 一流の人は、相手をしっかり見て仕事をしている。つまり、意識がしっかりと他人に向かっている。二流は他人に意識が向かわず、自分の中にとどまっている。それが連絡の遅さという形で表れる。

 仕事というのは、すぐやるもの。
 仕事が遅い人は、すぐやらないで後回しをする。

 すぐやるというのは、すぐ「全部やる」ではなくて、すぐ「手をつける」ということ。
 人はゼロから始めなければいけなくなるとプレッシャーを感じてやれなくなる。途中からなら、そのプレッシャーがなくなる。

 仕事が遅い人は、机についたらまずインターネット。仕事以外の余計なことから始める。でも、集中力は机についてから3時間で消える。
 一流になるためには、机についたら一番重要度と優先度の高い仕事を最初にすること。

○電話レベルとメールレベルの使い分けができない

 なぜ使い分けないのか?
 面倒臭いから。メールだと楽だから。つまり、自分優先。他人への意識が弱い。けれども、メールは必ず伝わるわけではない。「伝わった気分になる」だけ。そこが非常に危険。
 仕事のトラブルは、基本的にコミュニケーションのトラブル。
 社内でも問題が発生するし、特に外注との間には深刻な問題を引き起こす。特に外注と対処する場合、なんでもかんでもメールではだめ。こちらが申し訳ないことをしているのに「すみませんでした」のメールでは、誠意が伝わらない。
 ぼくも営業していたことがある。あるショップんから、あるゲームのチラシを持ってきてくれと電話で受けた。でも、もう在庫はなかった。そのまま放ってしまった。発売日にラオックスにお邪魔したら「どうして持ってこなかったの? 待ってたのに」。
 ひやっとした。
「次はちゃんと持ってきてね~。郵送でいいから」
 そう言われたけど、郵送じゃ誠意は伝わらないと思った。手で持っていった。「郵送でよかったのに」と言われたので「この間は失礼をいたしましたので」と頭を下げた。
 電話とメールでは緊急度が違う。電話の方が緊急度と重要度が高い。緊急で重要なことは、電話とメールを併用するのがいい。
 誠意については、自分から出向いて会うのが一番伝わる。次が電話。次がメール。ぼくはフリーランスだけれど、原画が終わったと聞いたら原画家さんにお礼の電話をして、発売日にもまた原画家さんにお礼の電話をする。
 基本的に、外注さんとのおつきあいは、恋愛と同じ。記念日にはちゃんと連絡する。「あなたを大切にしていますよ」というメッセージを発信することが大切。

○決断が遅い

 決断が遅いのには2つ理由がある。

 1.損失を考えるから。損失を考えて、一番大切なことを考えていないから。
 一番大切なことが見えていないから、「しょうもないディテールにこだわって、本質的なところをスルーする」。

 2.他人の脳味噌を使えていないから。
 一流の人は、他人に意見を聞ける。「このことならば、この人に相談すればいい」「あのことならば、あの人に相談すればいい」というのができあがっている。二流の人は自分の脳味噌だけでヒイヒイ言っている。
 二流の人は、図書館も本棚も持っていないし、そもそも本が1冊もない。一流の人は、図書館があるし、ちゃんと役に立つ本が並んでいる。
 二流の人は自分のことにばかりかまけて、自分を優先させるので、他人の意見がそもそも入ってこない。だから余計に決断できない。

 「このことならば、この人に聞くのが一番」という人脈をつくるのが大切。そして何が一番大切なのか、何が一番守らなければならないことなのか、忘れないように工夫することが大切。一番大切なことだけを書いて貼っておくのもひとつ。

○自分からプラスアルファを提示しない
○リテイクをお願いされると、説得力のない言い訳で抵抗する

 これも自分優先だから起きる行動パターン。作品のためとかファンのためとか考えていない。自分が余計な仕事をしたくないだけ。
 仕事の基本は、プラスアルファをすること。仕事のハウツー本とか自己啓発本では当たり前のこと。
 プラスアルファしない人、全然リテイクに応じてくれない人。そんな外注を使いたいと思う人はいません。

○巨視的ではなく、微視的で、メタレベルが低い
○読者の満足を考えていない
 
 これも自分優先の結果。
 二流の人は、自分が凄くないことに気づいている。でも、自分を凄いと思いたい。凄いと言われたい。つまり、自分にばかり意識が集中している。
 結果、読者という他人には意識が向かない。当然、視点も狭くなる。巨視的ではなく微視的になる。微視的になるからメタレベルが低い。

○他人に仕事を任せられない
 これ、中途半端にできる人がそう。
 自分が優秀だということを証明したいだけ。視点が微視的で短期的で、仕事を任せた場合の短期的な損失ばかり考えているから、他人に仕事を任せられない。
 仕事を任せることでチーム全体が将来的に成長し、チーム全体でより相乗効果を発揮するという中長期的なことを考えていない。
 一流の人は、自分の優秀さを証明することにあまり興味がない。任せるべきところでは他人に仕事を任せる。相乗効果というものに意識が向かっている。単なる自分という個人レベルでは止まっていない。

○コンディション管理ができていない

 微視的になるということは、中長期で物事を見られないということ。これを健康管理に当てはめると、コンディション管理ができないということになる。
 一流はコンディション管理を行う。忙しいから。だから、1年間を通してフルに働けるように自分のコンディションを整えていく。筋トレをしたり、休みを取ったり、栄養に気をつけたりする。
 特に35歳を越えた人は、コンディション管理が重要。仕事は筋肉。一流レベルの仕事は、健全な肉体に宿る。筋肉のない人は仕事のスピードが落ちる。

■いつでも集中するためには?

 集中力はPhysical。
 脳内の酸素濃度が高いことが重要。酸欠だと脳は集中できない。大腿二頭筋とヒラメ筋を鍛えることが重要。ぼくは1日最高108KB。1時間24KB。濡れ場のシーンなら、3時間で40KB普通に書きます。

○すぐ凹む

 二流はすぐ凹んで不平を託(かこ)ち、一流の人は打たれ強い。才能があっても、打たれ弱い人はすぐ沈んでゆく。10年20年と長くやろうとするなら、打たれ強くないとだめ。
 打たれ強くなるためには、負の変換器が必要。いやなことが起きた時や腹が立つことが起きた時に、それが実はマイナスではなくプラスなんだと変換する心の変換器がいる。
 マイナスのことは不運だとみなさんは思っているが、大間違い。あれはマリオなんかのパワーアップアイテム。ボーナスポイント。自分をバージョンアップさせるためのご褒美。あるメンタルスキルを身に着けさせるために発生する。不愉快なだけで、実は思い切りツイている。そこでぶーぶー言って逃げるから、どんどん二流になる。「こういうメンタルスキルをおれに覚えろってことだな」と気づくと、いやなことは一瞬で過ぎ去ってしまうし、一流に近づく。

■一流の条件~クリエイター編~
 一流は、

・意識がクライアントという他人、エンドユーザーという他人の満足にしっかり向かっている
・凄いと思われたい、凄いと感じたいということに囚われていない
・負の変換能力が高い

 対して二流は、狭い自分の世界に閉じこもって、自分をかまってほしい、自分を凄いと思ってほしいとばかり思っている。いやなことがあると、悲劇のヒロインになる。だから、二流。

○まとめ
 一流の人は連絡が速い。クライアントやお客といった他人をしっかり意識しており、プラスアルファを惜しまない。巨視的でロングランの視点を持ち、健康管理を怠らない。かまってちゃんとは縁遠く、いやなことに対する心の変換能力が非常に高い。

■二流の条件~シナリオライター編~
 二流のシナリオライターは、

・冒頭が無闇に長い
・無駄にダラダラしているシーンが多い
・削る技術と圧縮する技術がない
・人間が描けない
・年齢差のあるキャラが描けない
・引き出しが少ない
・台詞も文章もいまいち
・プロット技術が貧弱

■無闇に冒頭が長い

 小説の世界では、1頁目で売り上げが決まる。そこですぐ置き戻されたら終わり。戻されないように、相手を引っ込むように書く。そういう緊張感がある。
 ゲームにはその緊張感がない。

 ノベルゲームは小説との競合商品。ならば、小説が持っている緊張感や意識を持っていなければ、とてもラノベに太刀打ちできない。

 一度、シナリオ講座で苦痛を味わってもらうといってある没ゲームのシナリオを朗読したことがある。
 主人公が駅に着くところから物語は始まる。自分は町を見るとだいたいレベルがわかるなんて蘊蓄があってから、高台に上る。そこで後ろから人に押されて、「あっ!」。そこまで100クリック。
 みんな、最初は普通に聞いている。だんだん「長いよ」と苦笑を浮かべる。さらに「まだつづいてるよ」と困った顔をする。最後は「もう勘弁してくれ~」という表示言うになる。
「このゲーム、次を読みたいですか?」
 受講生に問いかけると、NO。
「ほしいですか?」
 NO。
「こんなゲームつくりたいですか?」
 NO。
「なのにどうしてクリエイターになったら、そういうゲームをつくるの!?」

 自分は凄いんだぜという意識を味わいたいから、そうなる。フロイトの言う肛門期みたいなもの。今自分は芸術的なくそをひねりだしているんだぜ、気持ちいい~っ! という状態にとどまっている。だから、快感を引き伸ばそうとしてダラダラ書く。
 一流というのは、お客という他人を考えている。自分はこう書いた。でも、そう理解してもらえるか? 伝わるか? そういうことに意識がある。二流は、そこに意識がない。自分が凄いと思われるかどうか。自分が凄いと感じられるかどうか。そこだけ。読者やプレイヤーというのはまったく入っていない。

 クリックは苦痛だということ。それを考えてほしい。当然の権利ではない。苦痛だから、苦痛じゃないように削ってノイズを取り除く。廃液の垂れ流しみたいに書いた文章を、あなた方はお客さんに読ませるのですか?

■無駄にダラダラしているシーンが多い

 主観ショットは実況中継。それゆえ、どうしてもダラダラになる。しかし、必要なダラダラと不要なダラダラがある。必要なダラダラでも、最適な長さのダラダラと、過剰な長さのダラダラがある。
 不要なダラダラを書かず、最適な長さのダラダラを書く。それが一流。
 過剰な長さの必要なダラダラを書く人は二流。不要なダラダラを書く人は三流。

■ダラダラと現代社会の問題。
 格差社会で、過剰な緊張状態を強いている。ストレス増大社会。だから、ゆるくしたい。交感神経が過剰に機能している時間が長いから、副交感神経が活発な時間を味わいたい。そういう心理を反映している。
 だからといって、ダラダラをダラダラ無制限に書いていいというわけではない。
 そもそも、勘違いしている。
 ダラダラをダラダラ書けばダラダラ感が出るわけではない。ダラダラ書かずにダラダラ感を出すのが、プロ。それが一流。

 ダラダラにはゲームの固有性も関わっている。
 映画、小説、マンガ――デジタル時代になったからといって、尺の長さは変わっていない。しかし、ノベルゲームに関しては、FD、CD-ROM、DVD……どんどん長くなっている。だから、他の業界にはある「尺に合わせて削る」という作業ができていない。だから、この業界は一番ライティング技術が低い。

 しかし、今はエンターテインメントが高密度&ハイスピード化している。
 面白さとは、ネタの密度とネタのスケール。
 密度が高くなれば、おのずとスピードも上がる。しかし、ダラダラ書く技術では、密度を上げられない。テンポも悪化する。それでは、ラノベに向かっている客をこっちに引き戻せない。

■削る技術と圧縮する技術がない

 削る技術、圧縮する技術というのは、実はプロになってから覚える技術。そして、書き手の中で一番難しい技術。
 圧縮する技術、削る技術があるとダラダラした文章を書かなくなる。
 では、どうすれば、圧縮する技術と削る技術が手に入るのか? ダラダラした文章を書かなくなるのか。
 方法は2つ。

 1つめ。
「死んでもその文章をクリックさせたいのか?」

 そう問いかける意識を持つこと。死んでもなら書けばいい。

 2つめ。
 「どこから始めるべきなのか、どこで終わるべきなのか」。シーンの離着陸の最短のポイントを見極めようとすること。
 鍛えるためには、100行で書いたシーンを無理矢理半分の50行で書き直す。すると、「ここだけは」というところが残るようになる。

 削れない人、捨てきれない人は、実力が足りない。もうそのシーンは二度と書けないかもしれないと思っている人は、捨てられない。そんなレベルのシーン、何回でも書けますよという人は捨てる。
「せっかく書いたんだから」という気持ちが強いと、捨てきれない。「せっかく書いたんだから」と思っている人は、自分のことを考えている。あなたが気持ちよく書いたから残すべきなのではない。物語に必要だから、それがお客さんの満足にとって必要だから、残すということ。

■台詞も文章もいまいち

 ぼくのゲームを10回プレイしてぼくの小説を10回読んでください(笑)。

 大切なのは、レベルの高いものを吸収するということ。
 残念だけど、ラノベもアニメもレベルは高くない。アニメばかり見ても台詞の力は上がらないし、ラノベばかり読んでも文章力は上がらない。
 台詞の力を上げたいのなら、レベルの高いドラマを10回以上くり返して見ること。
 文章力を上げたいのなら、ライトノベルは読むな。文章は下手糞。読んでいいライトノベルは、ぼくのものだけ(笑)。
 一般大衆向けの小説で、何かの賞を獲っている作家の本で、自分が好きだなと思えるものを10回以上読むこと。そして、文章を書いている時に困ったら参考になる箇所を読みなさい。

 ライティングに関連して、背景描写と心理描写について。
 小説には語りと描写がある。語りはニュース原稿。描写は実況中継。そして描写には重要な意味がある。
 
 クローズショット。
 だから、クローズショットにする必要のあるものだけを描写すること!

 背景描写は、純粋に背景を描写することではない。実は、背景を描写する形を借りて心理描写している。柄谷行人が『日本近代文学の起源』で言っている。
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 心理描写は、人の深い感情の動きや大きな感情の変化などを目にしないと不可能。そのために深いコミットメントが必要。つまり、弱い状態の時の心の動き方、強い時と弱い時の変わり方をわかっているということ。それは、とりもなおさず、あなたが人間観察や人生経験を通して理解しているということ。

 じゃあ、どうするか?
 同性や異性と1対1の深いコミットメントをすること。一晩語り明かしちゃったとかね。
 深いコミットメントは、人間描写に深く関わっている。

■人間が描けない

 人間理解は、物語のベース。人間を理解していないと、いいプロットを立てられない。
 人間を描けない人は、1対1の深いコミットメント体験が少ない。そういう人は、元気な状態の人間しか描けない。その状態でプロットを立てても「そういう人物なら、そういう展開にはならないだろ?」ということになる。

 人間を描くとは、正常じゃない人間の姿を描くということ。落ち込んでいる時や悲しんでいる時、あるいは怒っている時の状態の人間を描けるかということ。そしてそういう状態の人間は、集団では見えてこない。1対1の深いコミットメントをしていると、一番よく目撃する。
 人間を描けない人。仲間うちだけでつるむのは控えなさい。1対1で話しなさい。同性とも、異性とも。

■年齢差のあるキャラが描けない

 人間が普通に書けるのは、自分より2つ上ぐらい。がんばって5つ上、つまり、自分が小学1年だった時に6年生だった人。
 それより上になると、役職が全然違うし、キャリアパスが違ってしまう。そのために書けない。普通の人に社長の仕事や感覚はわからない。もちろん、将軍もわからない。だから、アニメでは中学生みたいな将軍が現れる。

 では、どうすればいいのか。

 おじさんたちが読む雑誌を読むこと、ビジネスのトップについての本を読むこと、年上のレベルの高い人と付き合うこと、またおじさんたちや偉い人が来る場所に行くこと。新幹線のグリーン車とかね。両親も重要な情報源になる。
『入社一年目の教科書』というベストセラーにも書いてある。同期と飲むな。自分よりランクの高い人と飲め。
 みなさん、ランクの高い人としゃべってますか?
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■引き出しが少ない

 引き出しが多いとは、他人の脳味噌が詰まっているということ。真面目な本には、他人の脳味噌が詰まっている。
 作詞家&プロデューサーの秋元康がこう言っている。「本屋に行ったら、3メートル先の本を読みなさい」。いつも行っているところを見ていては、同語反復になる。今の自分の脳味噌にあるものと近いものばかりあさってしまって広がらない。
 なので、新書やもう少し難しい本を読むこと。たとえば、ぼくの『非実在青少年論~オタクと資本主義~』ね(笑)。

 それから、「自分とは違う人と話をすること」。同じ趣味の人、分かり合える人としゃべっていても、引き出しは増えない。
 コミュニケーションが通じないことをディスコミュニケーションと言うけど、ディスコミュニケーションを楽しめ!

■プロット技術が貧弱

 ぼくの『美少女ゲームシナリオバイブル』を10回読んでください(笑)。
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『美少女ゲームシナリオバイブル』に書いてあることだけど、プロットは最初に話を考えちゃだめ。
 料理には、たとえばカレーライスといったらみんなが期待する具材がある。物語も同じ。こんな物語(たとえばサスペンス)といったららこういう具材を期待するよね、というものがある。その物語で必要な具材を考える。イベント案を具体的に考える。そしてつなげる。つなげたものを叩き潰す。またつなげなおす。また叩き潰すつもりで読み直す。またつなげなおす。そこで完成。

 二流の人はプロットでの粘りがない。最後までつながった。じゃあ、完成。パッパッパ~。それ、受験勉強で言ったら、1冊問題集をクリアーしただけ。それじゃ力がつかない。またしつこく反復する。気になる部分をやり直す。
 プロットも同じ。本当にそれで面白いかプロットを読み直す。息が詰まりそうになったからやめるではなく、息が詰まっても死ぬまでやるくらいの気持ちが必要。粘りがないと、プロットは一流レベルに到達しない。

 ディレクターの立場やプロデューサーの立場でシナリオやプロットをチェックする人へ。
 物語を診断するというのは、非常にハイレベルの技術。それができるのは、一流の作家だけ。
 自分は全部わかるはずだと思ってシナリオを見て「ああせい、こうせい」と言っても枝葉末節をなおすだけで、かえってぐちゃぐちゃにする。だから、「こうせい」と指示するより、「こんな感じがした」と感想を伝えること。そして、自分たちの指摘した葉っぱの部分から根っこの部分を見つけるようにさせること。

■補講1.天才・秀才・凡才

 天才、秀才、凡才という区別がある。これは、脳味噌のタイプ。小学5,6年頃の代数的な算数をどう解いていたかで、脳味噌のタイプがわかる。
 プロセスがはっきりしていて答えが出ていた人は秀才タイプ。途中経過がはっきりしないで、なんかわからんうちに答えが出ていた人が天才タイプ。答えが出ない人が凡才タイプ。
 真実を把握するスピードは、一番天才タイプが速い。1人のデータからも答えを得る。秀才タイプは数がたまらないと答えが出づらい。「データが1000個たまらないと、正確なところはわからない」なんて言うタイプ。凡才は、ひたすら経験の積み重ねでたどり着く。

 天才になればいいわけじゃない。秀才になればいいわけじゃない。凡才だからだめってわけでもない。
 天才とか秀才とかは、目指すものじゃないから。そんなところにこだわっている人は、ただ「自分は凄い」って思いたいだけ。そこに意識がとどまっている時点で二流。

 大切なのは、自分がどのタイプかということ。天才タイプは、自分の直感を信じること。何が何でも、自分の直感に従う。秀才タイプは、自分より上の天才タイプがあるんだということに気づくこと。自分より上があるということ、謙虚になりきれていない秀才タイプは、一番手に負えないし、伸びない。
 その上で、お客さんの満足を考える。そうすれば、天才だろうと秀才だろうと凡才だろうと、一流になれます。

■補講2.天才も秀才も超えるもの
 一流の上には超一流がある。どうやったら超一流になれるのか?

 チームでつくるマンガ家に対して、どうやって個人で対等に戦うのか。10年近くそういうことを考えてきた。その結果が、モンスターになること。つまり、怪物になること。
 怪物とは、クリエイターとしてのスケールが違うということ。怪物には、天才も秀才も凡才も敵わない。

 では、どうやったら怪物になれるのか?

1.圧倒的なストックを蓄える!
2.圧倒的な没量をスピーディーに行う!
3.面白さに対して粘りまくる

 たとえば、先月25日に出た『巨乳ファンタジー2』。背景CG33カットのために2000枚ほど見てます。イベントCGのためにも、のべ3000枚とかね。イベントCGは120カットなのに、そのために300カットのイベントCGを考えて切ってる。つまり、180カット分の没がある。
 そういうことを個人でやるとモンスターになる。個人でやれないなら、それをチームでやればいい。ただ、モンスターになる前に、彼氏彼女は捕まえておこうね。自分に合う異性が少なくなります(笑)。

 最後に。
 いいお話というのは、1カ月で効果が消えます。ぼくのハウツー本も、今日の講演も同じです。毎月見直してください。
 以上で終わります。ご静聴ありがとうございました。

○参考資料
⇒ヒロイン手帖×鏡裕之
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